産前産後のトラブル
うしろからしなとはよほど月ぱくし
「月ぱく」は月迫と書く。年末もおしつまって、もはやあといく日もないことをいう。人前で背中をかかせるくらいの女房だから、もちろんいやおうはないのだが、どうもこうせり出すほどせり出しちまっては、敵にうしろを見せないわけにはいかない。中国の表現をかりれば「山ヲ隔テテ火ヲ取ル」であり、日本流でいえば「ウシロドリ」であり、ワンワンスタイルである。そしてついにめでたく出産ということになると、
ご不自由旦那なさいと取揚婆《とりあげばば》
と、産婆にからかわれる仕儀となる。なにしろ江戸時代は産後七十五日、夫婦の交じわりを禁じていた。けがれもいとわず、臨月まで搦手《からめて》から攻めたほどの亭主のことだから、二カ月半にわたる長期の禁欲生活にたえられるはずがない。
初もののように七十五日ぶり
早く寝る女房七十六日目
忍ぶべきを忍び、たえがたきをたえ、ようやく七十六日目の夜をむかえてトキの声をあげる、こんないじらしい夫婦もあるにはあったのだが、おおむね大体そうはいかない。
宮参り時分願ってしかられる
宮参りは産土詣《うぶすなもうで》ともいって、母親が生まれた子どもをつれてはじめて氏神にお参りする風習なんだが、古川柳の当時はおおむね三十日目であった。
宮参りさてまだ四十五日あり
という有様だから亭主は頭に血がのぼり、出あるくくらいだから、もういいだろう、と手合わせを願ってしかられたというわけだが、これなどもまあいじらしい部類の亭主だ。
血気さかんで、三日もナニしないでいると鼻血が出るというサムライは、女房が産褥《さんじよく》にふせっているあいだも我慢できない。といって女房を用いるわけにもいかないから、
ひだるいか亭主産婦の伽《とぎ》をしめ
ということになる。床払いするまで、看病やお勝手の手伝いに田舎から産婦の妹や従姉《いとこ》をよびよせる。今も昔もよくあるやつだ。
——ねえきみ、まるっきりの他人というわけじゃなし、それにあとのへるもんじゃないんだから、ちょっとぐらいいいだろう。
と台所なんかで口説《くど》く。女房の方も亭主のすきなことは百も承知だから、聞き耳を立てて、
産婦の邪推大《じやすいおお》ぶりな咳《せき》ばらい
ちょいと物音がしたり、話声が聞こえると、大げさな咳ばらいなどして、しきりに牽制《けんせい》するという劇的シーンである。
わずか二十日《はつか》ぐらいの産褥中でもこれなんだから、宮参り時分になると、なにしろ女房といえどもきらいではないのだから、叱ってばかりはおられない、なしくずしについハジメてしまい、
女房の長血《ながち》亭主の不埓《ふらち》なり
ということになる。なおりきっていないところでいたすのだから、だらだらと出血が続くというわけだ。だから、そういうこともあろうかと、
里の母そばにねるので血を納め
実家から母親がのりこんで来て、七十五日そばに寝ていられたのでは、いかにすきものの亭主でも手のほどこしようはない。
まあ、夫婦の仲というものは、性的に多少の行きすぎがあっても、冷たいよりは熱い方がよいにきまっているんだが、それでもあんまり|はめ《ヽヽ》をはずすと、とんでもないことになる。