酒と女の法則
神代にもだますは酒と女なり
スサノオノミコトが、天《あま》つ国から出雲《いずも》のヒノ川上《かわかみ》にくだってくると、川上でおじんとおばんが一人の少女を中に置いて泣いている。ミコトがわけをきくと、
——わたしはこの国の神でございますが、八人おりました娘を、毎年一人ずつヤマタノ大蛇《おろち》にのまれ、今年は最後に残ったこのクシイナダ姫がのまれることになりました。どうにものがれようがございませんので、泣いております。
という。そこでミコトが、
——そんなら、この娘をわたしにくれないか。
というと、
——おおせのとおりに奉《たてまつ》りましょう。
ということなので、ミコトは立ちどころに姫を櫛《くし》にばかして髪にさし、老夫婦に言いつけて酒を作らせ、ヤマタノ大蛇は頭が八つあるので、八つの桶に酒をみたし、美しい人形を作って、その影が酒桶にうつるように仕掛けておいた。やがてやって来た大蛇は、酒と女がいっしょにのめるというので満悦し、したたかにくらい酔ったところで、ミコトは十握《とつか》の剣《つるぎ》を引きぬいてずたずたに切っ払ったところが、尻《し》っ尾《ぽ》の中から一ふりの剣が出てきた。これがすなわち三種の神器《じんぎ》の一つとなった草薙《くさなぎ》の剣である。
『古事記』や『日本書紀』がつたえるこの神話を聞いたり読んだりした江戸の庶民は、アアやっぱり神代でも野郎をまるめこむには酒と女を使ったんだなあ、と感慨を新たにしたんである。というのは、なにしろ川柳時代の江戸庶民は、田沼《たぬま》時代を経験しているからだ。
戦国時代でもないのに、三百石の小身から身をおこして、五万七千石の大名になり、安永《あんえい》元年(一七七二)には老中となって天下の政治をほしいままに動かすようになった田沼意次《たぬまおきつぐ》は、けだしワイロ好きであった。古今東西、政権のあるところワイロあり、と相場がきまったものだが、田沼時代ほどおおっぴらに、公然とワイロがはばをきかした時代はあるまい。長崎奉行《ながさきぶぎよう》になるには二千両、目付になるには千両ときまっていたのだから、それ以上の要職につくには、多額の金が動いたわけだ。なにしろ田沼自身が、こういっている。
[#この行2字下げ]金銀は人の命にかえがたきほどの宝なり。その宝を贈《おく》りてもご奉行いたしたきと願うほどの人なれば、その志《こころざ》し上《かみ》に忠なることあきらかなり。志しの厚薄は音信の多少にあらわるべし。予日々登城して国家のために苦労して、一刻も安き心なし。ただ退朝の時、我が邸《やしき》の長廊下《ながろうか》に諸家の音物《いんもつ》おびただしく積みおきたるを見るのみ、意を慰するにたれり。(江都見聞集)
時の老中がこういう料簡だから、官吏の進退はもとよりであった。だから、
役人の子はにぎにぎをよく覚え
と皮肉らざるをえなかったわけだ。われわれだって、キャバレーや待合における社用族や政治家の取りひきを見せつけられては、今の世もだますは酒と……といわざるをえないではないか。
その後はイナダおろちを丸《まる》でのみ
めでたく|おろち《ヽヽヽ》を退治したスサノオを、イナダ姫がほっとくわけはない。
——なんてたのもしいんでしょう。わたしの命はあなたのものよ、どうともしてちょうだい。
かなんかで、とうとう女房になって、|おろち《ヽヽヽ》にのまれるはずだったイナダ姫が、スサノオの|おろち《ヽヽヽ》を毎晩まる呑みにするようになったという、うれしいような、こわいような話である。
摘草《つみくさ》に来てはこらえる稲田姫
摘草に来たものの、うっかりオシッコをして、また蛇に見こまれては大変だと、姫はじっとこらえたろう。晩には|おろち《ヽヽヽ》をまる呑みにするくせに、やっぱり女の子は女だと、庶民の観察はまことによく行きとどいている。