隠しあな
大職冠《たいしよかん》よくもぐるのに文《ふみ》をつけ
閑話《むだばなし》はさておき、この章は謡曲『海士《あま》』で知られた、大化《たいか》の改新《かいしん》(六四五年)の功労者|大職冠《たいしよかん》藤原|鎌足《かまたり》に、まずご登場を願おう。大職冠というのは正一位相当の冠で、天智《てんち》天皇がその功をめでて、特に鎌足にさずけられた位である。
さて、鎌足の娘は中国の唐《とう》の高宗《こうそう》の后《きさき》であったが、かねて信仰していた奈良の興福寺《こうふくじ》へ、三つの宝珠《ほうじゆ》をはるばるおくって来た。その中の一つは面向不背《めんこうふはい》の珠《たま》といって、どっちから見ても美しいという名玉だったので、讃岐《さぬき》(香川県)の支度《しど》の浦《うら》で竜宮にうばわれてしまった。
そこで鎌足の子の藤原|不比等《ふひと》が、その玉をうばい返すために支度の浦へやって来た。竜宮にある玉を奪いかえすには、もぐりのじょうずな海女《あま》を使うよりほかにしようがないということになって、いろいろ物色し、これはと思うのに目星をつけて、まず仲よくなって、子どもを産ませた上で、実はしかじかと打ちあけてもぐらせた。
ところが玉を奪いかえしたのはいいが、竜宮の番人の悪魚どもに追いまわされて進退きわまったので、「かねてたくみしことなれば、乳の下を掻っきり玉を押しこめ、剣を捨ててぞ伏したりける。」という非常手段をとったという、あわれな話である。
川柳では息子の不比等をおやじの鎌足と勘ちがいして、大職冠といっているわけだ。
塩出しをして鎌足は召しあがり
いきのいい魚の本場の瀬戸内海までやって来て、塩出しをしなけりゃ口にはいらないような鮭《さけ》や丸ぼしをたべるはずはない。だから鎌足公が塩出しをして召しあがったのは、
蛤は初手《しよて》赤貝は夜中なり
の赤貝である。
なにしろ海女という商売は、年がら年中、塩水につかってるんだから、そのままでお公卿《くげ》さんの口にはあうまいと考えたのは、理の当然だ。
肥立《ひだ》ったを見て大職冠サテと言い
肥立つ、というのは、産後の母体が回復することをいう。産後の肥立ち、というやつだ。ところがこのごろは、子どもたちは肥立ちもよく、などと書く連中がいるんだから、おそれ入る。
子どもをうませておいて、元気になったところで、サテと切りだしたところなぞは、いささか悪公卿《わるくげ》じみている。
海女の方も命がけの仕事だから、子どものことが心がかりでならない。そこで、「もしこの玉を取りえたらば、この御子を世継の御位になしたまえ。」と、チャッカリと交換条件を出したものだ。
入れどころもっていながら乳の下
大活躍のすえ、乳の下を掻ききって玉を押しこめ、死体とともに引き上げられるということになったわけだが、庶民にいわせると、サテサテ知恵がない、ということになる。しかし、だが待てよ、と考えて、
またぐらに当てがってみる支度の海士《あま》
いくらなんでも、ハナから乳の下を掻っきるわけはない。最初はやっぱり当てがってみたんだが、玉が大きすぎてどうにも仕方がないので、乳の下をということになったんだろう。だから大臣の方も、そのくらいの見当はつけていたから、海女が引きあげられた時、
乳の下かへその下かと大臣《おとど》きき
てなことであったろうと、ちゃんと話の筋をとおしている。
さて、ここらで順序として道鏡を出したいところだが、前にふれたこともあるので割愛《かつあい》して、平安朝へ筆をすすめることにしよう。