ひよどり越え
うしろからグッと乗りこむ一《いち》の谷《たに》
江戸の庶民が川柳で、貴族であろうが英雄であろうが、遠慮《えんりよ》えしゃくなく、ズバリズバリと痛いところを突いて笑うことができたのも、匿名の気やすさからなのだから、これもまた落書きの一種というべきか。
さて前章に引きつづき、「祇園精舎《ぎおんしようじや》の鐘の声、沙羅双樹《さらそうじゆ》の花の色、盛者必衰《しようじやひつすい》のことわりをあらわす。」という名調子ではじまる平家の運命は、一の谷合戦、ひよどり越えのさか落としで、悲劇の幕が切っておとされた。
木曽《きそ》の風雲児|義仲《よしなか》の軍勢にやぶれた平家一門は、安徳帝《あんとくてい》を擁《よう》して都をすて、まず兵庫《ひようご》の一の谷に結集した。目の前の海には味方の軍船がへさきをならべ、砦《とりで》のうしろは名にしおうひよどり越えの要害であるから、平家一門は安心して、美しい官女まじりに管弦をたのしみ、酒にくらい酔っていた。
ところが相手がわるかった。なにしろ鞍馬《くらま》の谷で天狗《てんぐ》飛び切りの術をおぼえ、弁慶《べんけい》なんぞは笛一本で軽くあしらったおん曹司《ぞうし》義経《よしつね》だ。
ためしに馬を五、六ぴき追いおとしてみたら、三びきだけが、なんとか下までたどりついたので、これならいけるとおん曹司、義経を手本にせよと、まず三十騎ばかりをひきいて、まっ先にかけ落としたので、三千余騎の兵《つわもの》どもも、われおくれじと駆けおりた。そこで、「うしろからぐっと乗りこむ」ということになったわけで、ご期待にそむいてまことに申しわけないしだいである。
しかし、どうもそれだけでは気に食わないとお考えの向きは、この一の谷はむっちりとしたあの子のアノ谷だ、とご解釈なさっても、それは誤解だと責める自信も権利も、わたしにはない。
上を上をと官女なく一の谷
ところでこの句だが、これもまあ表面は、平家の武者どもが食らい酔って前後不覚になっているのを、いち早く後ろの騒ぎに気づいた官女が、
——しっかりしてちょうだい。そっちじゃないわよ、上よ、上よ。
と泣きわめいているという、至極もっともなありふれた情景である。だがしかし、この泣きはうれし泣きであり、上はある部分の上で、相手方のでたらめな行為に注文をつけているところと解釈しても、ちっともさしつかえはない。
八月《やつき》ごろヒヨドリ越えを攻めている
添乳《そえぢ》しているにひよどり越えをする
これらの句になると、もはや正解も誤解もない。八月ごろになると、女房の腹もめでたくせり出して、正面からの攻撃は困難だから、ヒヨドリ越えの奇襲をかけているところだし、二句目もよくある情景だ。
花嫁の豊満なおっぱいを専用できたのは、せいぜい一年か二年、その後は赤ん坊に独占され、たまの日曜日に昼取りでもと謀反《むほん》をおこしても、自分のしめるべき位置は赤ん坊にしめられている。そこでやむなくヒヨドリ越えという、若き亭主族の哀歓である。