見かけだおし
おつむりと下は違うと政子いい
源氏の総大将、源《みなもとの》 頼朝《よりとも》が大頭であったというのは、伝説ではない。『平家物語』巻八に、
[#この行2字下げ]御簾《みす》高く巻きあげさせて、兵衛《ひようえ》の佐《すけ》殿出でられたり。その日は布衣《ほい》に立烏帽子《たてえぼし》なり。顔大にして背短かりけり。容貌優美にして言語分明なり。
とあって、人なみ以上に大きかったのだが、それに尾ヒレがついて、大頭は頼朝と足袋《たび》の商標になった福助《ふくすけ》という相場ができたわけだ。
——ええ、いらはい、いらはい、頼朝公のしゃりこうべ。お代は見てのお帰り。
呼びこみにつられて、フラフラとはいって見ると、ウワサに聞いた大頭にしては、しゃりこうべがいかにしても小さすぎる。そこで文句をいうと、
——頼朝公おん八歳のしゃりこうべ!
という、いとものどかな江戸小咄があるくらいだから、庶民が見のがすはずはない。
流人の頼朝のところへ、流人預かりの豪族北条|時政《ときまさ》の長女|政子《まさこ》が、押しかけ女房としゃれたのは、ただたんに先物買いをしたわけじゃない。頭がでかく、鼻もでかいので、そこを見こんで押しかけ女房となったのだが、案に相違、下の方は人なみであったから、愚痴《ぐち》もこぼそうというものだ。
膝枕政子の股《また》にしびれ切れ
ましていわんや、大頭で太平楽に膝枕なんぞされて、股にしびれが切れると、今さらながら自分の見当ちがいがしゃくにさわって、こんちくしょう、ということにもなるわけだ。
初産《ういざん》に常盤《ときわ》は裂けたかと思い
二度目にはときわ御前はやすく産み
まあ、それくらいでかい頭であったということになれば、母親がその子をうんだ時は、さぞかし大変だったろう。帝王切開《ていおうせつかい》という手もないのだから、それこそ裂けたかと思ったにちがいないし、そのかわり二度目は楽々とうんだろう、というわけである。ことに弟の義経《よしつね》は小がらで身軽な男だったのだから、なおさらだ、というあたりはいいのだが、実は頼朝は常盤の子ではなく、熱田《あつた》の宮司《ぐうじ》藤原季範《ふじわらすえのり》の娘の子である。常盤の子である義経は頼朝の異母弟なのだが、常盤の子の義経の兄貴なんだから、とうぜん頼朝も常盤がうんで手ひどい目にあったにちがいない、と早合点したわけだ。