信念一路
一
それは母里太兵衛《もりたへえ》と、栗山《くりやま》善助とよぶ、若い郎党《ろうとう》だった。
この二人は、小寺家の直臣ではない。いわば陪臣《ばいしん》にはなるが、官兵衛の父宗円が子飼《こがい》から養って来た者である。数年前、官兵衛がその英才を愛されて、小寺政職《まさもと》から強《た》って御着の家老職に望まれて行った際、子を思う宗円が、
(何ぞの場合にも、この二名さえ付いておれば)
と、多くの家人の中から選んで、特に付けてよこした者たちであった。
今、その太兵衛と善助が、ただならぬ血相《けつそう》をもって近づいて来るやいな、のめるように自分の足もとへひざまずいたのを見て、あまり物事に驚かない質《たち》の官兵衛も、
「どうしたっ? 何事が起ったのか」
と、思わず声を昂《たか》めずにはいられなかった。
ふたりは肩で喘《あえ》ぎながら、交《かわ》る交るに、次のような事件が官兵衛の出たすぐ後で起ったことを告げた。
「——ご評議がすんで、ご出立あそばしたすぐその後です。根づよく毛利方へ加担を主張していた輩は、卑怯《ひきよう》といおうか、不忠と申そうか、すでに君前で一決した評定を覆《くつがえ》して、ひそかにお城の奥へ手を廻し、まだお小さい末姫さまを盗み出して、毛利家の使者へ手渡してしもうたのでござる。……しかも野盗のごとく、搦手《からめて》から城外へ、白昼、風の如く姫《ひい》さまを抱いて」
「ご一族の小川殿も知らぬはずはなく、奥曲輪《おくぐるわ》の女房たちにも、同腹の者がいたことは疑えませぬ。そのほか村井、蔵光、益田などの老臣衆も、悉く承知のうえで、主君のご息女を、質子《ひとじち》として毛利家の手へ託《たく》したものと思われまする」
「…………」
官兵衛は、茫然《ぼうぜん》としてしまった。反対派の面々にまんまと背負《せお》い投げを食わされたかたちとなった自己の忿懣《ふんまん》よりは、それ程までにしなければ、御着の城も個々の運命も支《ささ》えてゆけないと思いつめている老臣たちの頑固な旧観念と妄動《もうどう》を愍《あわ》れまずにいられなかったのである。
「……ううむ。そうか」と、さすが彼もそのあとでは唸《うめ》くような嘆声をもらして、
「末姫さまとあれば、まだお六歳のあの愛らしい姫さまだの。主君政職様には、それと知って、どんなにお愕《おどろ》きをしておられたか。……老臣衆をお叱りであったか、それともただ黙然としておわしたか」
「大殿のご容子までは、まだ窺《うかが》い上げておりませぬ。……何せい、それと報《し》らせてくれた者がありましたので、聞くやいな、われら両人にてすぐに毛利家の使者が滞留《たいりゆう》している城外の寺院へ駆けて行きましたので」
「よく気がついた。——して、姫さまのお身は」
「無念ながら取戻すことはできませんでした」
「さては、一合戦あったか」
「何の、それならば、一命を賭してもおめおめ姫様の身を、彼等に渡す気づかいはございませんが、使者の一行はすでに早朝、ご城下を去って、あとには馬一匹もおらないのです」
「ははあ……さてはすでに、内々申し合わせおった筋書《すじがき》とみゆる。ああ、ぜひもないことだ」
この不測な出来事も彼の明晰《めいせき》なあたまは、すぐ一応の処理を見ていたものらしい。語尾はもう平常の明るさをもって、ふと後を振向き、さっきからそこに佇《たたず》んでいた円満坊へにこと笑いかけた。
「師のご坊。いまお聞きの通りな次第で、それがしの旅はいよいよ急を要して参りました。いずれまた、ゆるりとお目にかかりましょう。これでお別れを」
手綱《たづな》を寄せて、馬の平首を二つ三つかるく叩き、ひらりと鞍の上に移った。