玲珠膏
二
目薬屋の与次右衛門も、以前は官兵衛の父宗円職隆《もとたか》の家僕《かぼく》のひとりだった。
赤松氏の老臣浦上宗則《うらがみむねのり》が主家を覆《くつがえ》して、国中大乱に陥ちたとき、宗円は備前《びぜん》からこの播磨《はりま》に乱をのがれて来て、以来久しい浪人生活をしていた。——井口与次右衛門は実にそのころからの家来で、よく主に仕えて困窮時代を切りぬけ、やがて宗円が小寺家の被官となって、今日の基礎を固めてから後は、年も老い、病気でもあるところから、余生は気楽な町家住居で送りたいと望んだので、宗円は自分の窮迫生活を救ってくれた家伝の目薬の調製と販売をそのまま彼に譲って、その功労にむくいたものであった。
そういう関係でもあったし、わけても、官兵衛としては幼少からこの与次右衛門にはよく馴《な》ついて、洟《はな》をかんで貰ったり背に負われたり、ほとんど、主従《しゆじゆう》という念すらなく我儘をして来た者なので、いまだに彼のすがたを見ると、幾分そのころの駄々《だだ》っ子《こ》の調子がついことばにも出るほどであった。
「爺や、爺や。もう何もかまうな。長居はせぬ。一やすみ致して、夜に入ったらすぐ、わしは舟で立つつもりだ」
北向きの中庭に面した一間に坐って、顔の汗を拭うと、官兵衛はそういっていた。しかしすこしも遠慮や窮屈は知らないように、部屋いっぱい寛《くつろ》いで坐りながら、大きく扇子をうごかして、ふところへ涼《りよう》をとっていた。
むかしの礼儀を忘れず、与次右衛門は、閾《しきい》を隔《へだ》てた次の小部屋にかしこまって、
「今夜、舟でお立ちとおっしゃいますか」
「そうだ、陸路は到底安心して歩けないからな。舟がいいのだ。……ところで、摂津《せつつ》まで渡る小舟を一艘《そう》、そちの才覚で雇《やと》ってくれないか」
「おやすいことでございますが、いったいこのたびは、どちらまでお越しなされますか」
「岐阜だ、行く先は——」
「岐阜へ」
「さればよ。おおかた察しがつくであろう」
「……と、すると、あの織田信長様のいらせられる?」
「まず、用向きは、その辺と思え。……信長と名を聞くだに、すぐ異様《いよう》な眼をかがやかすこの中国だ。御着《ごちやく》の家老たるわしがそこへ行ったなどと知れたら、たちまち鼎《かなえ》の沸《わ》くような騒ぎになる。故に、あくまで密《ひそ》かに参らねばならぬ。船頭とても、極く確かな者か、さもなくば、阿呆のような男をさがしてもらいたいが」
「よく心得ました。……さは申せ、京あたりまでは、敵地にひとしい中を、ただおひとりでは、何ぞの場合に」
「いや、どう要心いたしたところで、殺《や》られるときは遁《の》がれ難いし、また天命のつきぬときは、いかなる難に陥《おちい》ろうとも、そう易々《やすやす》終るものではない」
「ご幼時からのご気性《きしよう》。ましてそれまでのお覚悟とあれば、御意《ぎよい》をお曲げあそばすこともございますまい。——が、万が一にも、途中、危うしとお察しなされましたら、摂津の伊丹《いたみ》に、これの兄が……」
と、傍らに茶を注いでいるお菊を眼でさして、
「義理の仲ではございますが、これの兄にあたる者が、白銀屋《しろがねや》(金銀細工師)新七と申しまして、小《ささ》やかな家を構えておりまするので、そこへお身を隠すなり、また何なりと仰せつけ下さいますれば、身を粉にくだいても、きっと、このおやじに代るだけのご奉公はいたしましょう」
「ウム、伊丹の白銀屋という家か。ひょっとして世話をかけるかも知れぬ。覚えておこう」
と、官兵衛は、お菊のさし出した茶を一喫《きつ》して、
「湯漬《ゆづけ》を一碗食べておきたいな。舟にのる前に」
「むすめ。何ぞお支度してさしあげい。わしはその間に、浜へ行って、確かな男と舟を雇うて来るから」と、与次右衛門は外へ出て行った。