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黒田如水59
日期:2018-11-16 21:30  点击:254
 道は一すじ
 
 自分の陣屋へ帰ると、彼はすぐ、
「太兵衛、馬を貸せ。そちの書写山《しよしやざん》を」
「どうぞ。——どこへお出ましで」
「味方の諸陣地を一巡見て来たい」
「では、お供《とも》仕りましょう」
 母里太兵衛は、主人の駒につづいた。
 平井山の本営を降りて、敵の牙城《がじよう》、三木の城に対峙《たいじ》している味方の前線布塁《ふるい》を、彼は一わたり見て帰って来た。
 心なしか、七千余人の精兵を以て固めている敵の城中には、士気旺《さか》んなものが感じられた。荒木村重の突如たる安土への裏切は、あきらかにここの士気へ反映している。それを凱歌となしている歓びが敵に見られる。
 しかも村重の挙《きよ》に相継いで、摂津一帯の高槻《たかつき》の高山右近《たかやまうこん》も、茨木《いばらき》の中川清秀《なかがわきよひで》なども続々、反旗をひるがえしたというし、この中国においてすら、御着の小寺一族が、それに呼応している状態であるから、以て一連のこの計画が、並ならぬ毛利方の外交的成功として、それに所属する陣営に祝されているのは無理もない。
「思えば、ここは大危機だ。正に織田勝つか、毛利勝つかの平井山は、その分水嶺《ぶんすいれい》」
 彼の心はそそけ立った。その一責任を自分にも感じて——。
 駒を返して、ふたたび秀吉にまみえ、前線諸陣地を一巡して気づいた兵の配備上のことや、また重要な一策を献言《けんげん》した。
「先頃からお味方は、三木城に通じる東西の二道を初め、播磨《はりま》灘《なだ》の沿岸から三木に入る街道をも封鎖《ふうさ》して、敵の糧道を断《た》っておりますが、今日、つらつら敵の士気をながめ、地理を按《あん》じてみますに、これはまだ少しも敵中の士気にこたえていないようです。考え直さなければなりますまい」
 秀吉の持久長攻策の眼目はそこにあるので、秀吉はそう聞くと甚だ驚いた。眼をみはって、
「なぜだ。なぜ糧道の遮断が無意味だというか」と、急《せ》きこんで更に——
「つい後《あと》の月《つき》にも、毛利家の糧船二百余艘が魚住の岸に寄って、三木へそれを搬入《はんにゆう》せんとしたのを断乎《だんこ》追いしりぞけ、そのほかの道でも、密輸《みつゆ》の糧米をたえず抑《おさ》えている。ほとんど、水も漏《も》らさぬほど完封してあるのに、これが敵兵に何の痛手《いたで》もないとあっては一大事じゃが」
 と、むしろ官兵衛の言を、不満とするような語気で、それの完全を力説した。
「いや、きのうまでは、それでよかったのですが、摂津一円も、毛利方に組した今日においては、大きな破れを生じています」
「はて? ……左様かの」
「お気づき遊ばさないのは無理もありません。この官兵衛は播州の生れなればこそ、初めて気がついたほどの間道です。——それは淡河《おうご》の南約一里ほど先に見える丹生山《にぶやま》の切所《せつしよ》。あれは播摂の二国に境し、道らしい道もありませんが、あれを越えれば、摂津の物資を三木に輸送し三木の城兵が摂津へ通うことも、さして至難ではございませぬ」
「摂津の荒木が寝返った今日では、すでにそこには一塁を新たに築いて、三木か摂津かいずれかの兵を籠《こ》め、また輸送路も切り拓《ひら》いているに違いありません。何とか、お味方においても、それへ手段を考えないことには、いかに三木の三道を塞《ふさ》いでも、毛利の兵糧船は摂津の花隈《はなくま》あたりから兵糧を上げて、丹羽《にわ》を越え、淡河を経、その方面から難なく城中へ物を送り入れるでしょう」
 この献言は秀吉を心から感謝させた。ましてや官兵衛は今、苦境中の苦境に悩み、更に一歩、死を期す以上の苦しい所へ赴《おもむ》こうとしている寸前である。その間際《まぎわ》にありつつ、よくもそこまで心を用いてくれたぞという、情念からあふれる感激も強い。
「よくいうてくれた。いや、ありがとう、ありがとう。何とかいたそう」
「では。しばしお別れいたしまする」
「行くか、もう」
「少しでも早いほうがよいかと考えられますから」
「ぬかりもあるまいが、油断すな。呉々《くれぐれ》、身に気をつけよ」
「はい——ご陣所の内も」
「心配すな。留守は」
「天嶮《てんけん》に立籠《たてこも》る敵方と、素裸の陣地にあるお味方とは、ほとんど同数の兵かと見られます、加うるにお味方の兵、地の理に晦《くら》く、敵は闇夜でもこの辺の道には迷わぬ地侍です。——それに彼の士気はすこぶる昂《たか》まっておるように思われますゆえ、城を突出して、奇襲に出て来るおそれは充分にあるものとご予察ください。とかく長陣には、寄手のほうが飽《う》み易く、油断も生じ易いものでございますゆえ——」
 ——ふたたび名馬書写山の鞍に回《かえ》ると、彼は中国山脈の西の背にうすずく陽を馬上に見ながら、平井山の本陣から、万感を胸に、ゆるゆる降りていった。

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