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黒田如水66
日期:2018-11-16 21:57  点击:348
 
「おう新七ではないか」
 官兵衛は馬を降りて、馬を木蔭につないだ。そして汗の顔を拭《ぬぐ》いながら、路傍の木の根に腰を休めて、
「わしの来るのをどうして知ったか」
 と、訊ねた。
 伊丹《いたみ》の城下に住んでいる白銀屋新七《しろがねやしんしち》という金銀細工の飾職人である。この男は、姫路の目薬屋与次右衛門の縁類で、かつて官兵衛が志をふるい、郷国を脱出して、初めて岐阜に信長をたずねて行った折に、途中、与次右衛門のすすめによって、白銀屋の家に一泊したり、そこで旅装を変えたりして、京都から岐阜へ潜行《せんこう》したものであった。
「伊丹ではもう今朝から旦那様の来ることが皆の噂になっておりまする。てまえも荒木様のご家中から聞きましたので」
「えらい早耳だの。……そうか、なるほど。早馬で次々先触《さきぶ》れしたものだな」
「何しろ往来はきびしゅうございまする。ご城下に住むてまえどもでも、ご領外へは一歩も出してくれませぬ」
「さもあろう。領内の状況が、織田家へつつぬけでは工合がわるい」
「いよいよ織田方との合戦になりましょうか」
「それは、村重どのの心《こころ》一つだが……。すでに、信長公に対し、反旗をひるがえしたからには当然戦う覚悟であろうな」
「三木城の衆や、毛利家のお使いは、のべつ城門へ入っているような様子で」
「三木城の者は山越えで入って来るだろうが、毛利衆はどこから来るの」
「海から上がって参りまする。本願寺の衆なども」
「旺《さか》んなものだな。村重殿の鼻息も荒かろう。……だが新七、おぬし長く伊丹に住み、城内のご用も勤めておる者ゆえ、何かと噂は聞いておろうが、一体、荒木村重ほどの者が、何が原因で、俄《にわか》に、毛利家へ款《かん》を通じ、信長公へ弓を引く心になられたものか。……そちは何か聞いていないか」
「いや、それに就いては、世間の噂も区々でいろいろにいい囃《はや》されておりまする」
「たとえば、どんな事を」
「村重様の戦功《せんこう》と、ご出世をそねんで、明智日向守様が、ひそかに信長公へ讒《ざん》したのが因《もと》だとか。いや、毛利家の方から手を廻して、非常な恩賞を約して誘いこんだものとか」
「やはり型の如き世評か。それが真相かの?」
「いや、ほんとの所は、どうも違うらしい所があります。——てまえが聞き入れた事では、伊丹城の重臣の二、三が結託《けつたく》して織田家のきびしい監視《かんし》の眼をくぐり、沢山な糧米や穀物《こくもつ》を闇売りいたしたのが、安土へ知れたのが、因《もと》かと思われまする」
「それはありそうなことだな。大坂本願寺はいま近畿の諸道を織田方に断《た》たれ、食糧には疾《と》くからひどく窮乏しておる。また織田方の作戦はそれ一つが眼目でもあるのだ。かねに糸目をつけず欲しがっているだろう。それへ売込めば莫大《ばくだい》な利は獲《え》られるゆえ、或いは、とも考えられるな」
「村重様が中国から信忠卿に従《つ》いて帰るや否、安土へ召されて、信長公から烈しいご叱責《しつせき》をうけたとか面罵《めんば》されたとかいうことです。そして犯人をさし出せとの御意《ぎよい》をうけたが、村重様は、頑として出さない。その下手人がどうやらご寵愛の美しいお方の父親とか近親とかにあたるというわけなんで」
「その虚を見て、本願寺や毛利家側から、利を以て誘ったわけだの。易々《やすやす》と、彼等の手に乗じられたということになるのか」
「どうもそれがほんとではないかと考えられます」
「あらましは読めるな。——ところでまた、安土からのご使者などは、屡《しばしば》、伊丹城にみえるようか」
「ここ数日は絶えましたが、ご謀反《むほん》と知れ渡ると、頻々《ひんぴん》、お諭《さと》しの使者が来られたようでした。松井友閑《まついゆうかん》様、明智光秀様、そして万見仙千代《まんみせんちよ》様なども、安土のお旨をうけて、幾度か来ては説き、説いては空《むな》しくお立ち帰りになったとか伺っておりまする」
「いやよく聞かせてくれた。城中に入る前に、そちに会ったのは、寔《まこと》によい都合だった。尠《すく》なからず官兵衛の用意にも相成った。新七、礼をいうぞ」
「ともあれ、まことにむさぐるしい家ですが、てまえどもまでお越しの上、お支度なりしばしご休息なりと遊ばして下さいまし」
「このたび伊丹へ来たのは、前の折とはちがい、旅すがらの途中ではない。すぐ城中へ罷らねばならぬ。もし思うように用向きがすんだときは、帰りにぜひ立ち寄るであろう。……どれ、きょうのうちにもその決着を得たい。新七、先へ行くぞ」
 腰をあげると、自ら馬を解いて鞍に移り、せっかく迎えに出ていた新七をあとに捨てて伊丹の町へ入り、そのまますぐ城門へ向っていた。

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