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平の将門38
日期:2018-11-24 22:32  点击:249
 君見ずや
 
 
 衛府の武者生活は、小次郎に、苦痛ではなかった。曠野の野性に、むすびついて、彼の体躯は、いよいよ逞《たくま》しくなった。
 さらに、皇城内の生活は、彼の心に、新たな野望をめざめさせた。何をするにも、位官等級の差別がある。自然、小次郎の意中にも、栄達の欲望が、頭を擡《もた》げ出した。
 精励した、勉学もした。何をしても、他の兵には、劣るまいとした。
 特に、調馬——馬をあつかわせては、左馬寮、右馬寮を通じても、滝口の小次郎に及ぶ者はないといわれた。
 四年の後、彼は、七位ノ允《じよう》にまで、登った。
 その四年目の春。
 久しぶりに、また、伊予の藤原純友が、上洛した。——そして、純友が滝口へ誘いに来たので、連れ立って、遊びに出た。
 滝口の允ともなれば、外出も、自由であった。だが、江口の草笛は、水辺の萍《うきくさ》に似て、もう、とうにそこにはいなかった。
「どこへ行こう……?」と、純友はいう。小次郎にも、あてはなかった。
「まず、八坂の不死人を誘ってみよう。——衛府に入ってから、実は、不死人にも、あれきり一度も会っていないのだが」
「や。……じゃあ、おぬしは、都にいながら、不死人の最期《さいご》を、知らないのか」
「不死人が、死んだって」
「——と、聞いているが」
「嘘だろう。うわさにも、おれは耳にしていない」
「捕まって、投獄された事だけは、嘘ではない。これは、諸国へ逃げ散った手下の一人から、直かに、聞いたことだから」
「あの神出鬼没な男が、どうして、検非違使などに、捕まったろう」
「いや、庁の手ではなく、常平太貞盛とかいう男の指揮で、突然、八坂の巣を、寝込みに襲われ——刑部省の獄屋へ投げこまれたというはなしだ。……何でも、それは左大臣家に取入っている貞盛が、忠平に乞うて、進んでやった仕事だと、いわれている」
「……知らなかった。いつの事だろう?」
「つい、この正月のことだという。貴様も知らない程では、世間へも、よほど、秘《ひそ》かにしているものと思われる。……察するところ、忠平としては、紫陽花の君の仕返しを、貞盛に、やらせたものに違いない」
「それが、ほんととすれば、やがては、おれの身にも、何が、降りかかって来るかも知れぬ」
「だが、どんな拷問をうけようと、不死人が、貴様との関係まで、口を割るとは思われない。その辺は、心配するにも当るまいが、貞盛には、飽くまで、気をつけていることだ。何をたくむか、予測はできぬ。——いつか、おぬしの身の上ばなしに、故郷元の事情も聞いたが」
 加茂の岸を、いつか、上がって、
「おい、叡山《えいざん》へ、行こうか」
 ふいに、純友が、いい出した。
 麓で、酒を買い、それを携えて、二人は、四明ケ岳へ登った。
 春霞の下に、京洛の屋根と、皇居の諸門が、望まれた。
「……ああ、平安の都、人間の都」
 小次郎は、感慨にたえない。
 十六、はるばる、坂東平野から、都へ上って、初めて、京都を見た日の美しい夢や希望と、今、見ている思いとでは、余りにも、ちがいがある。
 きょうの歎声は、都への、嘲笑だった。また、人間の地上への、怒りだった。
「小次郎、ひどく、考えこんだじゃないか」
「うム……。ばからしさに、唖然としているのだ。おれは、正直者だった」
「いや、その愚直は、直るまいよ。——お互いにだ」
「君は、賢い」
「はははは。賢ければ、なんで、南海の片隅に、いつまで、六位ノ地方吏などして、くすぶッているものか。とうに、都へ出て、左大臣忠平ごときに、大きな顔はさせておかない。——おれの祖父は、関白基経の弟だ。——陽成、光孝の二帝の朝に仕え、藤原氏の繁栄をひらいた基経の血すじなのだ」
 純友の語気は、悲調をおび、充血した眼に、涙が光った。南海の狂児と、いつも、自嘲していう、持ちまえのものだった。
「伊予にいれば、国司の腐敗や、郡司の弱い者いじめが、目にふれて、黙っていられなくなるし、都に出れば、朝廷を栄花の巣にして、明け暮れの猟官、夜も日もない宴楽、小刀細工をして立ち廻る小人輩の讒訴《ざんそ》だの、何だの、かだの……。この気もちの、置き場がない」
 純友は、杯で、面をかくした。途中の寺院で乞うて来た杯。それを、小次郎に、つきつけて、
「飲まんか。——おぬしも、桓武天皇から六世。正しく、帝系の御子ではないか。しっかりし給え」
「そうだ。おれも……父の生きていた頃までは、故郷では、御子とよばれていた」
「滝口の下臈《げろう》ぐらいになって、出世したなどと、安んじていてどうするか。——眼にも、見ないか」
 純友は、爪まで赤い手で、彼方なる平安の都を、指さした。
「——あの屋根の下に、どれ程な人間が、きょうを、楽しく、暮しているか。おおむねは、栄花の大樹の下草か、石にひしがれている雑草だ。氏の長者といい、一門の誰彼といい、藤原氏だけが、有ることを知って、無数の飢えを、地に見ようともしない。そして朝廷までを、内部から蝕《く》っている。おどろくべき、存在だ。それを、ふしぎともしていない、この春日のうららかな昼霞に、おぬしは、血も、涙も、わいて来ないか」
「おれには、政治向きのことは、分らないが、毎年の疫痢《えきり》や洪水でも、都の窮民は、みじめなものだ。——その出水の水が引かないうちに、もう公卿たちの館では、管絃の音《ね》が、聞かれ出すのに」
「いや、天災は、まだしも。人災を坐視している法はない。匡《ただ》すべしだ。おれは、匡してやろうと思う」
「でも、おれたち、身分のない者が、どう思っても、初まらないじゃないか」
「見てい給え、こんど、伊予へ帰ったら、おれは必ず、何かやる。——小次郎、ここ数年のうちに、南海に変ありと聞いたら、そこに、藤原純友ありと、思ってくれ。やる、おれは、どうしてもやる」

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