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平の将門42
日期:2018-11-24 22:34  点击:236
 浦人の遺書
 
 
 いま、望郷の日の、憶いはとげた。
 小次郎は、一つの丘の上に坐り、ぽつねんと、少年の日のとおりの恰好で、膝を抱えた。
 ——が。充たされてくるなにものもない。
 空しい天地。馬のいない牧場《まきば》。
 どうして、幼い日、こんな寂寥の中に、終日、独りでいられたのだろう。また、都にいても、折にふれ、事にふれ、恋しく憶い出されて、いたのだろう。
 長くいるにも耐えなかった。
 しかし、肚をきめよう。この静かな天地の中で、——この丘に抱いていた夢とは、まったくべつな現実の中に、小次郎は、考え耽ってしまった。——何よりは、一人前の男として帰った以上、これから、いやでも、自分の双肩にかかってくる家長の責任だった。
「——都へ出たのは、ムダではなかった。何は学ばなくても、おれは人間を観てきた。都を知らない弟たちとは少しちがうぞ。おれは、叔父共に、ごま化されはしない。また、怖れもしない」
 しきりに、彼は、自分へむかって、呟き出した。郷土の大自然は、やはり、肉親の父に次いでの、無言の慈父であった。正しい勇気と、良心とが、さかんに、彼の若い体を励ますものとみえる。
「そうだ。人間を相手に思うまい。都にいても、人間仲間は、あの通りだ。腹ばかり立って、おれも、純友や不死人のような考えになってしまう。郷里もそうだ。叔父共の肚ぐろさには、業《ごう》が煮えて、たまらないが、過ぎた事には、囚《とら》われまい。——ただ、土をあいてに、黙々と、出直そう。父の良持のした生涯を、この息子も、素直に倣《なら》って、行くとしよう。愚鈍というならいえ。お人よしと笑うなら笑え。おれには、総領の任がある。土さえあれば、おれだって、父の一代ぐらいな家門には、きっと、盛り返してみせる。いや、それ以上にもして、叔父共を、見返してやる」
 帰り途に、彼は、父の代から牧の番をしていた御厨の浦人の住居をのぞいた。厩は朽ち、馬の影も見えない。ただ、破れ戸の内の土間に、白髪の媼《おうな》が一人、糸車を廻して、独り、糸を紡《つむ》いでいた。
 ——それは、変り果てていたが、浦人の妻だった。彼女は、涙をながして、良人の浦人が、もう世にないことを語って、
「やがて、和子様が、都の空からおもどりになったら、そっと、これをお見せ申しあげろというて、あの人は、息をひきとりました。……それは、もう、おととしの秋のことで、ございまするが」
 と、遺書らしい物を取出して、小次郎に渡した。
 その夜、小次郎は、浦人の遺書を読んで、灯に、すすり泣いた。浦人は、ひたすら、小次郎の帰国を待ち、あらゆる迫害と、貧窮に耐えつつ、さいごの最期まで、牧を守っていたのだった。遺書の終りには、こうあった。(——三ヵ所の、牧のうち。ほか二ヵ所は、すでに、良兼、良正様たちの、家人方に持たれています。そのほか、相伝《そうでん》の御荘園《ごしようえん》や開田地《かいでんち》なども、どうやら、あやしげな処分になってしまいました。無念ながら、浦人ごとき老骨の力には及ばず、あるまじき非道を見ながら、病に果て終ることは、何とも心残りです。どうか、御帰国の上は、充分に、お力を養って、御家運を、盛り返してください。浦人の魂魄《こんぱく》は、世を去っても、和子様を、お護《まも》り申しあげているでしょう……)
 切々たる末期《まつご》の文字をつらね、なお、幼い日に、郷家を離れた小次郎のために、当然、小次郎が相続すべき良持以来の所領の地域と、その郡名などが、細々《こまごま》、終りに書いてあった。
 しかし、その後に、また、
(これだけは、確かに、御家門に付いている相伝の御領地にちがいありませんが、太政官の地券の下文や、国司の証などは、どなたの手にあるや、聞いておりませぬ)
 と、追記してある。
 小次郎は、大きな、不安に襲われた。それでもなお、よもや? よもや? ……と、打ち消したい気もちの方が勝っていた。叔父といえば、父の兄弟たちである。自分たち兄弟にも、血の濃い人々ではないか。年もみな、五十、六十という長上の年配であり、しかも、それぞれ家人郎党もたくさん抱え、困るという家柄ではない。歴乎《れつき》とした土豪ばかりだ。何で、自分たち、親のない孤児の遺産など、掠《かす》め奪《と》ろう。他人のひがみだ。邪推である。——と、小次郎には、どうしても、疑いきれないで——しかしまた、一抹の不安も、拭いきれなかった。

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09/30 03:23