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平の将門45
日期:2018-11-24 22:36  点击:294
 行々子
 
 
 気の向くまま、心の澄むまま、遊ぶまま、狂いたいまま、しかも無理はしないで、この天地間に、水ほど、領野を自分の物にしきって、自由に暮しているやつはない。
「——羨ましい姿だ。水の心だ。癇癪《かんしやく》などは、すこし恥かしいな」
 将門は、のべつ、大股に、汗をかいて歩いていたが、ふとそんな考えも起した。
 ——というのは、歩けば歩くほど、実に、この地方は、水だらけで、およそ、視界や足もとから、水と縁の切れることはない程だからである。
 従って、河原だらけで、すこし草の生えている土壌でも森でも、それは河原の中の島にすぎない。そして河原を走る縦横無尽な、幾すじもの水脈が、やがて中心部に相寄って、湖《うみ》のような幅になる。そこがやっと主流で、いわゆる、下総、常陸の国境をなす毛野川(今の鬼怒川)の大河であり、新治《にいばり》、常陸の平野と、筑波の山が、彼方に見える。
「……はてな。おれが子供の時分には、たしか、この辺に、渡舟《わたし》があったはずだが」
 将門は、芦間《あしま》の岩に腰を下ろした。さすがに、豊田の館《たち》から、馳せ通し、また、歩きとおしたので、少し疲れたものとみえる。渺茫《びようぼう》たる大江《たいこう》の水を前に、しばし、行々子《よしきり》の啼く音につつまれていた。
 その行々子の声に、彼は、自分がまだ、幼い頃、両親に伴われ、侍女や郎党に傅《かしず》かれ、常陸の方から、この大河を舟で渡って帰った日のことが思い出された。記憶にある程だから、自分の三ツの祝いではなく、七歳《ななつ》の祝いであったろう。何しろ、行った先でも、舟の中でも、晴れ着を装われた御子《みこ》様の自分が祝福される中心であった。
 招かれた先の、常陸石田の大叔父も、羽鳥《はとり》や水守《みもり》の両叔父も、みな家人家族をつれて、わざわざこの川岸まで、見送りに来たものだった。——その頃の、自分の父良持の威勢と徳望は、大したものだったにちがいない。彼らは、父の兄弟だが、父の前では、たれ一人、頭のあがる者はなかった。一族の長上とあがめて、犬馬の労もいとわなかった。
 その日、この大河を渡って帰るためにも、叔父共は、殊更、新しい船を用意し、若い女達に、大きな絵日傘を翳《かざ》させて、酒肴《さけさかな》まで、備えてあった。七歳の祝い着に飾られた自分は、その真ん中に、太子様のように、行儀よく、坐らせられていた。……そして、船が、河心にまで出ても、なお、常陸岸の叔父たちの群れは、豆つぶみたいに見えていた。手を振って、坂東の豪族、曠野の王者たる父の良持と、後嗣の御子たる幼い自分を、祝福していた——。
 父が、死ぬとき、あの叔父たちの良心を、信頼したのもムリはない。父も神ではない。今日の叔父共が、あのときの人間と同じ者だったということは、神でもなければ、分ろうはずはない。当然、父は、あとの小さい子供らと、一代に開拓した遺産の田領《でんりよう》とを、そっくり、叔父共の良心に托して逝ってしまった。
 ……もし、霊があったら、父は、ここにこうして毛野川の水を見ている今の小次郎将門を、どう眺めていらっしゃるだろう?
 勃然《ぼつぜん》と、将門は、また憤りを、新たにしていた。……畜生と、思うそばから、涙が膝にこぼれて来た。
「もし父が生きていたら、奴等を、ただおくものではない。その父が世にいないのをつけめに勝手なまねをしている叔父共なのだ。ようし。父良持は、まだ生きているという事実を、悪叔父めらに、思いしらしてやろう。どこに生きているというか。……問うも愚かよ。おれは平良持の子だ。おれの中に、父がいるのはあたりまえだ」
 彼は、ぬっと、突ッ立った。何かに衝き上げられたように。——そして芦荻《ろてき》の間を見まわし、対岸に渡る舟を探し求めていると、一頭の馬を曳いた男が、
「おうっ。お館さま。河の上にも、岸辺にも、お姿が見えないので、どうしたかと、ずいぶん探しましたよ」
 と、思いがけぬ声をかけて近づいて来た。
 男は、豊田の館の郎党のひとりで、牛久《うしく》の梨丸《なしまる》というまだ十七、八の小冠者である。むかし家に仕えていた乳母の末子であった。将門が京から帰って来たと聞くと、牛久の里にまだ生きている乳母が、ぜひ、召使うてやって下されと、むかしを忘れずに向けて来た者なのだ。いわば乳兄弟でもある。将門は、乳母の遺物《かたみ》と思って可愛がっている。梨丸も、愛に感じて、生涯を托す主人として働いていた。
「——梨丸か。何しに来たんだ? おれは、常陸へ出かけるのだ」
「ですから、馬がなくては、御不便でしょう。いずれ、水守の叔父御さまか、羽鳥へも、お廻りでしょう」
「うム。……ずいぶんな、道程《みちのり》ではあるな」
「河原畑で、かっと、御立腹なすって、そのまま、一散に、お立ちになってしまったと、ほかの者から聞きましたので」
「館の馬を、曳いて、追いかけて来てくれたのか」
「そして、私も、ぜひ御一緒に、お供をしたいと思って来ました」
 梨丸は、将門の眼を、じっと見て、哀願するように、そういった。何しに、常陸へ渡るかを、彼は知っているふうである。将門は、だまって、うなずいた。こんな無言のうちにも、情にはすぐ涙ッぽくなるのが、彼のくせであった。

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