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平の将門53
日期:2018-11-24 22:42  点击:318
 月と水
 
 
 野霜の翁——具足師の伏見掾《ふしみのじよう》は、夜業《よなべ》をしていた。
 源護の嫡男、扶から、誂《あつら》えられていた一領の鎧を、きのうも、大げさに、催促されていたからだった。
 三ヵ所に、灯皿《ひざら》を架け、その乏しい灯の下ごとに、背をまろくして、老いたる妻や、娘や、二人の弟子なども、膠《にかわ》ごてを使ったり、おどしの糸を綴《つづ》ったり、みな、精を出しあっていた。
「……どうなすったろうの。豊田の小殿は」
 ふと、思い出したように、伏見掾が、つぶやいた。きのうの朝、夜明けと共に、ここを立った将門のことが、きょうは、家族たちの口に、何度も、うわさにのぼった。
「きょうも、ここの道を、まだ、通られはしなんだのう。——たれか、お姿を、見たものは、あるか」
 媼もいった。弟子たちは、顔を振った。縅《おどし》の染め糸を、白い掌に、揃えては、綴じ板にならべていた娘だけは、無関心のように、うわさの、外にいた。
「ここの道を、おつつがなく帰るお姿を見るまでは、何となく、気にかかることではある。……あの叔父御たちの、肚ぐろい企《たくら》みが、小殿の方にも、うすうす分っているらしいだけにな」
 翁のことばについて、弟子達も、水守の良正や、羽鳥の良兼の悪口を、不遠慮に、いい出した。奴婢を、牛馬のごとく、ムチで追い使うことだの、その家来たちまで、市《いち》へ来ても、部落を通っても、肩で風を切って、あるいているとか、また、註文の武具を、納めに行っても、一度でも、文句なしに、取ったことはない。工匠《たくみ》の良心などは、わからないで、価の安い高いばかりいうとか……いい出すと、きりもない程、弟子たちは、しゃべった。
「いやいや、あの二人は、まだ良い方なのだよ」
 と伏見掾はいった。媼や、弟子が、意外な顔つきをすると、翁は、「そうだとも……」と、自問自答して、仕事の手をつづけ、やがてまた、いい足した。
「——ほんとに、お肚の悪いのは、石田に住む常陸大掾国香さまじゃ。豊田の良持様の大きな御遺産を、あんぐり、呑んでおしまいになって、ほんの僅《わず》かを、良兼、良正様へ、くれておやりになっているに過ぎぬ。……だが、御自身は、そ知らぬ顔して、何もかも、良兼、良正のお二人にやらせているという狡さ。よくいう古狸というのは、ああいうお方の事であろうよ」
 遠くで、さかんに、犬が吠える。野盗のそなえに、この部落でも、犬を飼っていた。——娘は、白い顔を、灯皿の翳《かげ》に、ふと下げて、脅《おび》えるような、眸《ひとみ》をした。
「仕舞えや。眠ろうぞよ、もう」
 細工場を、片づけ、あちこち、広い家の戸じまりを、手分けして、しはじめている時だった。
 土塀門を、たたく者があった。
 弟子が、二人して、覗きに出た。馬のいななきが聞える。雨気をもった低い雲間に、もう夜半をすぎた月が、ぼやっと、ほの白い。
「たれだえ。……どなた?」
「梨丸です。——豊田の将門様の召使で、おとといの夜、お世話になりました、あの主従です。夜更けに、おそれいりますが」
「え。将門様ですって」
「そうです。あのときの、おことばを思い出し、これまで、急いで、戻って来ました」
「やれ。ようこそ」と、翁は、尻ごみしている弟子たちにむかい、
「はやく、小門をあけて、お通し申さぬか」
 と、叱った。
 やがて、梨丸が、将門を、背に負って、はいって来たのを見て、翁も媼も、初めて、顔いろを、失った。……娘は、茫然と、片すみに、立ちすくんだ。
 梨丸は、馬の背に、主人をのせて、からくも、あれから水も飲まずに、野路から野路を、これまで引っ返して来たのである。驚愕してむかえる家族たちに、あらましを、無念そうに語って、将門の体のいたみが、やや癒えるまで、どうか、一室をかして下さるまいかと、頼むのであった。
 もとより、ここの家族に、否やはない。挙げて、将門主従に、同情をよせ、その夜から薬餌《やくじ》、手当に、夜も明かしたほどである。
「なに。たいした事はない。だいぶ、心もおちつきましたし」
 朝になると、将門は、家族たちに、感謝して、その日のうちにも、豊田郷へ帰るような事をいい出した。伏見掾は、以てのほかな顔をした。
「お気がねなさるのでございましょう。ところが、私共には、よろこびなのです。先夜も、お物語りいたした通り、小殿のお父上良持様には、どんなに、お世話になったことやら知れません。幾年《いくとせ》の後、はからず、一夜のおん宿を申しあげるのも、尽きぬ御縁です。良持様のわすれがたみでお在《わ》すあなたに、こう、傅《かしず》き申しあげることが、人の世のよろこびでなくてどうしましょう」
 翁のことばは、そのまま、ここの家族の、真心な世話ぶりに出ていた。将門は、気がゆるんだせいか、その日から、大熱を発した。次の日も、夢うつつな、容態であった。
 すこし、意識づくと、彼は、無念そうに、泣いてばかりいた。泣くことに、そう、人前をはばからなかったのは、この時代——平安朝期の日本人のすべてであったが、幼少から特に、癇が強くて、泣き虫な将門であった。その将門が、たまたま、こんな奇禍のあとに、思いがけない曠野の家の人情にふれて、すっかり、幼児のような心理に返っていたのかもしれなかった。またそれ程に、日頃から、愛情に飢えていた彼でもあったにちがいない。
 けれど彼は、三日目ごろから、意識的に、泣くのをやめた。と、いうのは、いつも彼の枕許に、看護《みとり》しているこの家の小娘が、彼が泣くと、共々泣いて、果ては、しゅくしゅく、袂《たもと》に、嗚咽《おえつ》をつつむからである。
 娘の名は、桔梗《ききよう》といった。もちろんまだ二十歳《は た ち》をすぎていない。弟子たちは、桔梗さまと呼んでいる。
「桔梗どの。なぜ、お泣きになるんです」
 将門は、ある折、彼女にそういった。病人と看護する者の間ほど、心と心との接近を、急速にするものはない。
「だって、将門様が、お泣きになるんですもの」と、桔梗は、はにかみながら答えた。
「ひとが泣くのに、何も、つきあって、一しょに泣かないでもいいんですよ」
「おつきあいではありませんよ。泣きたいから泣くのですもの」
「どうして、泣きたくなるのですか」
「でも……。あなたが、お泣きになるから」
「では、おれが泣かなかったら」
「私も、泣きますまい。けれど、将門様は、心のうちでは、時々、お泣きにならずにいられないのでしょう」
「そうかも、しれない」
「そうしたら、私も時々、心のうちで、泣かずにいられなくなるかもしれません」
「え。どうして」
「なぜでしょう。あなたのお心が、だまっていても、私には、いちいち、月と水のように、すぐ映ったり、揺れたりします」
「桔梗どの。……ほんとに」
「え。ほんとに」
「ほんとなら。……」と、彼は手をのばした。そして急に、むくっと、身を起しかけたが、
「……痛い」と、顔をしかめて、からだを、折り曲げた。
「あれ。いけません。急にお起きになっては」
 桔梗は、彼を抱えて、寝かしつけた。それは、弟をいたわる姉のようなしぐさであった。

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