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平の将門60
日期:2018-11-24 22:45  点击:305
 桔梗ひらく
 
 
 到底、三人の叔父に横領された遺産の大には、及びもしないが、それでも、将門はひとまず、家運を挽回《ばんかい》した。
 すんでの事に、建ち腐れともなる、父祖以来の、豊田の館を、もりかえした。叔父共の手からは、依然、一枚の田も返されてはいないが、奪られた家産田領の何十分の一かは、自分の努力と汗から取りもどした。
「——天はおれを憐んでくれている。おれには、励みがある、人知れぬ楽しみもある」
 黙々三年の間、彼を時々ニタニタさせていた胸中の秘密は、承平五年の正月、初めて、一族兄弟に、披露された。
「ことしは、おれも、妻をもつぞ。……誰だ? 当ててみろ」
 と、初春の宴会の夜である。いきなり大勢の前で、こう、彼らしく、いい出したものである。
「ほんとなら、一族の歓びです。お館《やかた》とて、早や三十五歳にもおなりですもの」
 みな、どよめいて、杯を上げ合ったが、さて、将門が正室として迎えようと決意したほどの女性は、誰であろうか? 誰にも見当はつかなかった。
 当時、早婚の風は、平安の都ばかりでなく、鄙《ひな》でも、十三、四、あるいは十五、六歳で妻をもつ者は、幾らもあった。だから勿論、将門が三十五歳まで女性を側におかなかったというわけではない。妻ならぬ妻は、郷内にもおいていた。館の棟のちがう所に住んでいたかもわからない。しかし、正妻はまだ娶《めと》っていなかった。
「兄者人《あんじやひと》。私は知っています。……当ててみましょうか」
 いったのは、弟の将頼である。
 将頼は、うしろにいた梨丸と、顔を見合せて笑った。
「なに。知っていると?」
「分っていますとも」
「当ててみろ」
「当てたら、何を下さる?」
「おまえには、御厨の御料地をふくむ、守谷一郷《もりやいちごう》をやる」
「え。……まさか、兄者人、そんな、おねだりはしません」
「よいから、いえ。当ててみろ」
「野霜の……桔梗《ききよう》どのでしょう」
「そうだ」
 将門は、手を打った。そうだといった声も、途方もない大声だったので、みな、あっ気にとられて、将門を、見まもった。
 しかも将門は、あわてて杯を唇へ運び、眼に涙をためていた。そして、将頼に、杯を与えた。
「当たったよ、将頼。分っていてくれたのだな、うれしいぞ。……どうだ、将平も、将文も、将武も、将為も」
 ずっと、弟たち、すべての顔を見わたして、
「桔梗どのを、おれが、娶ってもいいか、どうか。それが聞きたい。家人共も、いってくれ、遠慮なくいってくれ。この館の北の方としてよいか、悪いかを」
 と、おそろしく真剣になって訊ねた。
 将頼を始め、彼の弟たちは、口々にそれへ答えた。
「よいも悪いもございません。兄者人が、お好きな方なら」
「兄者人も、御決意なのでございましょうが」
「うすうすは、将頼兄から、聞いていました。そんな、お好きな方があるのに、いつお娶《もら》いになるおつもりかと、私たちこそ、待ち遠い思いをしていた程です」
「…………」
 将門は、大きな味方を得たように、弟たちの一語一語を、うなずきで受けては、だらしなく、鼻のあたまの涙を、水洟《みずばな》と一しょに、こすっていた。
「そうか、お前たちが、そういってくれれば」
「なぜ、そのように、私たちへ、お気がねなさるのですか」
「いや。あれを娶うには、お前たちの力もかりなければならないからだ。手ッ取りばやく、結末をいうならば、桔梗どのの親、野霜の翁のことばには、晴れて、嫁入らすというわけにはまいらぬ程に、強《た》っての仰せならば、娘を、盗んで給われ——と申すのだ」
「あ、そうですか。余りに身分が違いすぎると、あの実直な親共は、卑下しているわけですな」
「……とも、ちがう。理由は、まったく、べつにある」
「ではなんで、そんな古風な事を、望むのでしょう。遠い昔には、望むところの家の娘を、聟と、聟の一族が行って、掠《かす》め奪《と》って来るのが婚礼であった習慣もあるやには聞いておりますが」
「それも、先方の望みだから仕方がない。おれには、桔梗どのの親共の苦しい気もちは充分にわかっているのだ。そして、お前たちにも、その苦しみが、やがては、累《るい》をなして行くことも惧《おそ》れている。……だが、あきらめられないのだ。おれは……この兄は」
 将門は、指で髪を掻きあげた。その手は、いつまで、髪の根をつかんだまま、彼らしくもない溜め息になっていた。
 将頼にも将平にも、ふかい事情はわからない。ただ、兄の恋が、四年ごし、胸の中におかれていたことだけは知っている。そして、その兄が、酒興ではなく、大勢のまえで、こう苦悶するのを見、何でわれわれに否やがあろう、と一せいに、兄の恋を励ますような眉色《びしよく》をたたえた。
 家人郎党たちにしろ、それは、ここで更に祝杯を重ねてもいい程な思いこそあれ、異議のあるべきはずはない。やがて、異口同音に、
「吉事は早くこそ。花に雨、月に雲のたとえもありますぞ」
 と、凱歌のようにいい囃《はや》した。
 一族の者に、そう祝福され、励まされて、将門も、いよいよ臍《ほぞ》をかためたらしく、
「では、二月《きさらぎ》までには、嫁御寮を、ここに迎えよう。何かと、その心得をしておけやい」
 と、宣言した。
 酒の強いのは、この時代の、殊に、この原野の人種の特色である。十壺《じつこ》の黒酒《くろき》(黍酒《きびざけ》)を空《から》にしてなお足りぬほどだった。一門、泥亀のように酔った。そして、将門の恋と、併せて、正月の夜を、底ぬけに、祝った。
 ところが、ただひとり、不安そうに、これを眺めていた老人がある。将門の父良持の代からいる多治経明《たじのつねあき》という老臣である。
 経明は、もう眼もかすみ、腰も曲がって、物の役には立たない老齢なので、御厨の御料の池の番所に詰め、めったに、館へも来なかったが、たまたま、新年の宴に会して、かえってひどく憂い顔に沈んでいた。
 何か、彼も一言、いいたげであったが、この若者ぞろいの、逞しい野性に酒気をそそいだ雰囲気に反《そ》むくような事は、とても老人の乏しい意力では、よく為《な》しうることではない。
 ——と、悟ったように、彼のみは、独り、とぼとぼと、暗い遠い道を、御厨の御料園へ帰って行った。

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