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平の将門63
日期:2018-11-24 22:46  点击:251
 名門息子
 
 
「何、何。——桔梗が行方知れずになったと」
 源護の嫡男、扶は、その日、水守の良正の館へ遊びに出向き、まだ良正にも会わないうちの門前で、良正の家来たちから、その事を聞かされた。
「それは、捨ておけん。一大事だ」
 彼は、たちまち、馬を回《かえ》して、野霜の方へ、駈けて行った。
 この嵯峨源氏の嫡子も、年はもういい程である。正妻も側室も持っていた。だが、恋は、べつな道としているらしい。地方にめずらしい洒落者《しやれもの》で、綺羅やかな太刀、狩衣の装いや、馬具の飾りの美々しさは、つねに草深い領下の土民の眼をそばだたせていた。そして、いつも七人や八人の供は連れている。
「はやく来い。ばかっ。おくれな、郎党共」
 追いつき切れない家来たちを、時々、馬上から振り返って叱りながら、まるで、戦場へでも急ぐような語気である。
「隆の仕業かな? ……。そうだ。悪くすると、弟め、それくらいな事はやりかねん」
 充分に、疑って、野霜の具足師、伏見掾の部落屋敷へ、駈けこんだ。
 ところが、どこで聞いたか、弟の隆の方が、もう先にそこへ来ていた。翁も媼も、その夕から、床について、嘆き沈んでいるといって会わない。弟子たちや、部落の諸職の者を集めて、細々、訊きただしていたのだった。
「どうも、よくわからん。——桔梗がいなくなったのは、事実らしいが、前後のいきさつが、辻つま合わぬ」
「隆。何も、手がかりは、ないのか」
「やあ兄上。これはちと、おれ達の不覚だった。察するに、豊田ではないかと思う」
「将門か。……うム、一度は、そうも考えたが、あの小心者に、大それたまねは出来まい。桔梗の身には、われらの息がかかっていると、彼奴は、百も承知のはずだ」
「そう考えていた隙《すき》が、鳶《とび》に、出し抜かれた因《もと》ではあるまいか。つらつら思うに、ここ一両年、野霜で出来る武具なども、大半は豊田の方へ買い取られている。いつのまにやら、将門と伏見掾との間に、話し合いが出来ていたのかも知れぬぞ」
 隆は、ずんぐり短い体を振って、しきりに、かなつぼ眼を、あたりへ動かした。自分の嗅覚に、確信をもって、いいきるのである。
 扶は、青ざめた。憤怒するとそうなる性質らしい。
「おい、隆。伏見掾夫婦を、おまえの馬の背に引っ括《くく》って、後から館へ、引っ立てて来いよ。よろしいか」
 そういいつけて、自分は、不快怏々《おうおう》と、先に自邸へ、帰ってしまった。
 まもなく、隆が、後から来た。しかし、野霜の老夫婦は、拉致《らち》して来なかった。どうしたかと訊ねると、翁と媼は、一間を清掃し、枕をならべて、眠るように、自害していたというのである。
「豊田領へ、放免《ほうめん》(密偵)を入れてみれば、すぐわかる。もう疑う余地などあるもんですか」
 隆の言があたっていたことは、数日の後に、立証された。共に、失意となってみれば、この兄弟は、将門を憎むことに於いて、また、報復を期す目的に於いて、どこの兄弟仲よりも、急に、仲がよくなった。
「彼奴にも、家人郎党はある。うかつには、手が出せん。どうしてやろうか」
 行ったら完全に将門の致命を扼《やく》すような策でなければならないと、二人は智恵をしぼりあった。だが、完全扼殺となると、にわかに名案もうかんで来ない。
 すると、二月の末頃である。
 石田の大掾国香から、使者が来た。書状をひらいてみると、こうあった。
 ——長らく在京中のせがれ常平太貞盛が、突然、帰省いたしました。
 このたびの帰省は、新たに、右馬允《うまのすけ》に任官した歓びをこの老父に告げるためと、今春の御馬上《おんうまのぼ》せの貢馬《みつぎうま》を、東国の各地の牧に、下見《したみ》するための公用の途次との事です。
 ここわずか両三日ほど、郷家に旅の身を休める暇をもつのみとか。ぜひその間に、久々ぶり、お会いもして、四方《よも》のお物語りなど、日頃の思慕の想いを尽したいと、念じております。
 お待ち申しあげる。どうか、おそろいにて、お立ち越しのほどを。

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