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平の将門83
日期:2018-11-24 22:55  点击:299
 鬼 哭
 
 
 たれか、密告した者が、あったのかも知れない。
 羽鳥の良兼は、将門の妻子が、湖上の苫《とま》船に、潜んでいるのを、ついに、何かの手懸りから、知ってしまった。
 すでに彼は、豊田郡の本拠を、占領して、狼藉《ろうぜき》、掠奪《りやくだつ》、破壊、やりたい放題なことはやった。
 しかし、彼の本来の目的は、それにあるのではなく、じつに将門の首を見ることにあるのだ。
 かんじんな将門を逸したことは、良兼にとって、なお一抹の不気味をのこしている。いつ彼が、兵を糾合《きゆうごう》して、報復に出てくるか分らないし、何よりは、筑波羽鳥の自分の留守が、不安になった。
「もういい。ぞんぶん、腹は癒えた。ひとまず、羽鳥へ引揚げよう」
 凱旋の途中で彼は、将門の妻子の居場所を知ったのである。で、そのため急に、道を変えたのだ。鴻野《こうの》、尾崎、大間木、芦ケ谷と水路に添って来るうち、ふと、湖の東岸に近い芦の中に、三艘の苫船が、舳《みよし》を入れているのを見つけた。しかも、その一艘の苫には、嬰児《あかご》の褓《むつき》が干してあった。
「あれへ、射込んでみろ」
 良兼は、兵に、弓を揃えさせた。
 数百箭《せん》の矢かぜが、一せいに、苫へむかって、放たれた。堪るものではない。苫の下には、何とも、名状しがたい人間の悲鳴が起った。
 桔梗の守りについていた十数名の郎党は、いちどに、船を躍り出して、
「これまで」と、船を近づけ、阿修羅になって、斬りこんで来たが、多くは、矢にあたって、水中に落ち、岸を踏んだ者も、なぶり斬りになって、討死にした。
 その一艘に、良兼の部下が乗って、すぐ他の二艘を、岸へ曳いて来た。一艘は、女房や女童《おんなわらべ》ばかりである。良兼は、
「桔梗を搦《から》めろ。ひきずり上げて、縄をかけろ」
 と、わめいていた。しかし、船が、岸近くへ、曳かれて来るまでに、桔梗は、将門との中に生じた——この春、生んだばかりの愛しい——あれほど夫婦《ふたり》が珠《たま》と慈《いつく》しんでいたものを、眼をとじて、母の手で刺し、自分もその刃で、自害していた。
 良兼は、何か、彼女の行為が、非常に面憎《つらにく》い気がした。——彼はなお今でも思いこんでいる。かつて、自分の愛妾玉虫が姿をかくしたのは、将門が盗んだものとしているあのときの感情だ。その報復をなすべきものを失ったための業腹《ごうはら》であったにちがいない。桔梗の死骸を、水底に蹴落し、なお罪のない女童や傅《かしず》きの女房たちまで、部下の残虐な処置に委して、羽鳥へ引き揚げて行ったのだった。
 ——それが、きのうの、夕暮であった。
 酸鼻《さんび》をきわめた辺りの状は、なおそのままで、余りの生々しさに、鴉《からす》も近づいてはいなかった。
 将門は、一たんは、たしかに、狂いにちかい発作をやった。哭《な》くとも喚《おめ》くともつかない怒号をつづけて暴れ狂った。醜態といえば醜態なほど嘆いた。けれど、この時代の曠野の人間は——いや、たしなみある都人《みやこびと》の間でも、喜怒哀楽の感情を正直にあらわすことは、すこしもその人間の価値をさまたげなかった。将門の部下は、むしろ、将門がだらしのないほど、哭《な》いたり狂ったりするのを見て、心を打たれた。そして彼らもまた、おいおいと手放しで泣き、洟水《はなみず》をすすりあい、そして遥かに筑波の山影を望んで、
「みろ、みろ、おのれ鬼畜《きちく》め。わすれるな良兼」
 と、拳を振るもあり、眦《まなじり》を裂いて罵る者もあった。
 彼らのような半原始人のあいだにも、なお女性や幼い者への愛《いと》しみはあった。いや弱くて美しいとなす者を虐《しいた》げる行為を憎む感情は、道徳概念ではなく、本能のままな強さを帯びていた。従ってこの結果は、当年の史実を伝える唯一の原典といわれる「将門記《しようもんき》」の記事にも、
——爰《ココ》ニ将門、本土ヲ敵ノ馬蹄ニ足躙《ソクリン》サレ、奮怨《フンヱン》ヤム所ヲ知ラズ、ソノ身ハ生キナガラ、ソノ魂ハ死セルガ如シ
 とある程、将門にとっては、致命的な暗黒を生涯に約されたものではあるが、しかし、彼の部下が、彼と共に哭き、彼の一身に、心を結束させたことは、非常なものであったろう。あらゆる犠牲と同情をあつめて、将門の傷魂《しようこん》をいたわり慰めたであろうことは、想像に難くない。

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