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平の将門108
日期:2018-11-24 23:12  点击:236
 危険な舌の持主
 
 
 常陸側の首脳部と、将門方の軍使とが、国庁の広庭で会見したのは、その日の昼で、冬の冴えきった空に、陽がらんとして燦《きらめ》き、双方、いかめしく、床几を並べて、対峙した。
「せっかくのお申し入れだが、その藤原玄明という男は、当庁にあって、府官にあるまじき悪行を働き、ついに身の置き所もなくて、他国へ奔《はし》った人間でおざる。——いわば当国としては、追捕中の前科者と申すべき者だ。——左様な人間を、いかに将門殿のお扱いでも、罪を解いて、旧職に復すわけには参らぬ。お断りする。明確にお断りする」
 維茂の返答である。
 その返答でも分るように、将門方の軍使は、将門の扱いと称して、玄明の無罪と、彼への追捕を止めることを、常陸側へ、求めたのだった。
「御宥免《ごゆうめん》は、出来ないでしょうか」
 こういったのは、将門方を代表して、ここに使いとして来た御厨三郎将頼で、
「……さて、困ったのう」
 と、副使格で付いてきた藤原不死人の横顔を見て呟いた。
 将頼は、初めから、この出兵に、反対だった。それに、藤原玄明の人物も分っていたし、その罪科も知っている。どう聞いても、先方のいい分の方が正しく思えて仕方がない。
 だが、副使役を買って将頼について来た不死人はまた違う。穏和な将頼とは、人間も違うし、その目的も肚も違っている。
 彼はさっきから不逞《ふてい》な面構えをして、顔から飛び出すような眼を以《もつ》て、相手の維茂、為憲以下の者を睨《にら》まえていたが、
「や、お待ち下さい。お言葉ですが」
 と、このとき初めて口を開いた。
「なるほど、仰せの如く、玄明には、多少の罪もあるでしょう。たとえば、国外へ逃亡するさい、行方郡、河内郡などの官倉の物を持って逃げたとか、また、在職中にも、貢税の者の頭を刎《は》ねたとか、訴訟を聴くのに、一方から収賄を受けたとか。……だが一体、常陸の国庁には、そんな事は一切《いつさい》しない良吏ばかりがいると仰っしゃるのか。他の府官には、一点の罪悪の蔭もないと仰せかな。その辺は、どうです。念のため、承《うけたまわ》っておきたいが」
 為憲は、ぴりっと、眉をうごかした。
 貞盛は、ここに姿を見せていない。——もし、為憲が発言してはと、問題のもつれを怖れて、維茂はあわてて答えた。
「お訊ねは、少々、お門《かど》違いではないか。そんな事は、貴公へ御返辞する限りではない」
「何を……いや何で門違いといわれるか」
「ここは常陸の国ですぞ。下総の領下ではない。他国の内政に、いらざる御懸念は止めて欲しい」
「なるほど。そう出る事であろうとは心得ていた。しかし、常陸の国庁に勤めていた府官が、主人相馬殿(将門)にすがって、豊田の館に泣きこんで来ていることを御存知か。——国司たる御辺の不始末が、隣国へまで、迷惑をかけたものとは思われぬのか」
「これは思いもよらぬいい懸りだ」と、維茂は、顔じゅうに不快な皺《しわ》を描いて——「元々、常陸においても、日頃から悪評の高かった人物。わけて官舎を荒らして逃亡したような者を、匿《かくま》わるるこそ、当方から見れば、怪しからぬ思いがしておる。……何で、御門を頼って行ったなら、突ッ刎ねて下さらんのか。また、隣国の誼《よし》みを思わるるならば、一応、常陸の国庁へ、御通諜《ごつうちよう》でもして給わらんのか。こちらこそ不満でおざる」
「窮鳥懐《ふところ》に入れば——という事もある。主人将門殿は、弱者にたいし、そういう事は出来ないお人柄なのだ」
「ならば、それでもよい。しかし、そんな小我の情を以て、玄明を赦免《しやめん》せよの、追捕を解けのと、他国の内政へ、お口出しなどは、大いに困る」
「いや、その内政が紊《みだ》れておるため、かく隣国へまで人騒がせをさせたのではないか。国司として、謝罪もなすべきに、傲然、余計な口出しはするなと、いわんばかりな態度は何事だ」
「当国として、詫びる筋はないゆえ詫びぬまでの事、べつに傲慢なお答えはしておらぬ」
「何せい、そんな一片の挨拶で、追い返されたなどといっては帰れん。玄明の罪を解いて、謝意を表すか、あるいは、一戦も辞さんと仰せられるか。明白な御返辞を聞こう」
「貴公の態度こそ、まるで喧嘩腰だ。よう思うてもみられい。明らかな罪人を罪なしとして免したり、その上、国司が膝を曲げて詫びるなどという馬鹿げた事がどうして出来ますか。そんな事をしたら藤原維茂は、府官の長として、明日から庁務を執ることはできません。——何と威嚇《いかく》なさろうと、お断りのほかはない」
「なに。威嚇だと。いつ威嚇したか。——御辺の部下のために、わざわざ、穏便な話し合いをつけに来たものを、威嚇とは、何事だ。おいッ、何とかいえ、維茂どの」
 不死人は、だんだんに声を荒らげた。努めて、相手の激発を誘おうと仕掛けてゆく。
 しかし、さすがに、国司の維茂は、その手には乗って来ない。怒りの代りに、にゅっと、無理な笑いをたたえて見せる。——老練だな、と不死人は見たので、ついに暴言を承知で「……おいッ、何とかいえ」と、一喝《いつかつ》を放ってみたのである。そしてわざと、語気にふさわしい眼気も示して、為憲の顔を見ていったのである。
 果たせるかな、為憲はすぐそれに引っ懸って来た。維茂が何かいうまもあらず、火を呼んだ油壺のように、くわっと口を開いた。
「だまれっ。先刻からいわしておけば、好き勝手な小理屈をひねくり廻す奴めが。——わずか一小吏の扱い事に、仰山な兵馬を進め、しかも、挨拶もなく常陸の国土へ踏みこんで来るとは何事だ。それでも、威嚇でないといえるか」
「お。いわれたな。……いわれたのは御子息為憲どのか」不死人は、その不気味なほど動じない面構えに、ニコと冷笑をうかべた。彼にとって、この血気らしい息子は、好餌に見えたにちがいない。どうしても、ここで事件を紛糾させ、ここに戦端を切らして、坂東一面を燎原の火に染め、遠く、南の海に拠って、大挙の機を待ちかまえている藤原純友たち一味に、答えてやらなければならない時が来ていた。
 で、不死人は、舌なめずりして、為憲の憤怒を、弄《もてあそ》んだ。
「やあ、為憲どの。父上とはちがい、あんたなら耄碌《もうろく》もしておるまい。——兵馬を従えて来たのが悪いというが、それ程、常陸は物騒な国だから、要心に如《し》くなしと考えてのことだ。主人や自分の身を守るのがなぜ悪い」
「なに、常陸は物騒だと」
「白ばッくれては困る。お若いくせに」
「事々にいい懸りをつけるな。かつて常陸から下総へ理不尽な兵など一兵も入れた事はないぞ」
「だが、一挙にそれをやろうと、密々、謀《たく》んでおられるではないか」
「ば、ばかな事を。何を証拠に」
「証拠呼ばわりなどはおかしい。聞きたくば、ここへ右馬允《うまのすけ》貞盛を呼んで来い」
「えっ。……貞盛などが」
「さ、連れていらっしゃいっ。どうだ。貞盛がこの国庁に折々姿を現わし、しかも数日前からいることも、こっちでは既に偵知している」
「問うに落ちず語るに落つ。汝らこそ、その通り、常に密偵を使って、犬の如く、他領を探っているのであろう」
「探っておらんとはいうまい。それも自領の安全を護るためだ。何となれば、貞盛こそは、年来、相馬殿を亡くさんと、都と坂東《ばんどう》の間を往来し、あらゆる虚構と奸智《かんち》をかたむけて、主人将門殿を呪咀《じゆそ》している卑劣者だ。——その貞盛が、常陸に潜伏している。……何でこれが、黙視できるか」
「…………」
「しかも、貞盛にそそのかされて、御辺父子も、兵力を増大にし、弓馬の猛訓練をさせて、虎視眈々《たんたん》と、下総の境を窺っている者ではないか」
「…………」
「なお、武器を蓄え、兵糧を積み、庁の政務などは、怠っても、軍備を第一に努めているとは、玄明の告げ口に聞くまでもなく、われらの諜報には確かめられている。……そのため、貢税の時務を滞り、領民も怨嗟《えんさ》の声を放っているとは、つい今日の夜明け方、わが陣中へ立ち寄った弾正忠定遠どのの話でもあった」
「何を申す。その定遠どのは、汝らの兵が、捕虜として引っ立てたのではないか。そのような暴力と脅迫を以ていわした言葉が、何の証拠になろう」
「あはははは。こうすべて内部が分ってしまっては、さすが維茂どのも、二の句があるまい」
「分った。……すべては、喧嘩を売るために、そして常陸へ兵を入れる口実を作るために、よくよく企んで来た事だの。そうだ、売る喧嘩なら買ってやる。ただし、口幅ったい名分をいうのはよせ。汝らは明らかに暴賊だ」
「暴賊と申したな」
「いった。土の暴賊だ。しかし、われにも備えはある。常陸の寸土も、汝らに渡すことではない」
「よしっ。話は終った」
 不死人は、そういって立ち上がった。そしてさっきからしきりに何かいおうとしている将頼には、ついに何もいわせず仕舞いに帰ってしまった。

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