重き陣幕
小荷駄奉行の直江大和守は、ふもとの土口《どくち》に陣していたが、やはり、油断ならずと、部下は寝せても、ひとり寝もやらず、床几《しようぎ》にかかったまま、篝へ向って居眠っていた。
——と。小銃のひびきがした。
近い。
らんと、眼をあげて、余韻《よいん》を聞いている大和守のひとみに、篝の火が、煮えていた。
「どこだ。方角は」
陣幕の外にゆくと、哨兵のひとりが、
「多田越《ただご》えの方らしく思われます」
と、答えた。
ちょうど海津城とのあいだに当る。多分は——味方の物見と、敵の斥候との、さぐり撃ちだろうとは思ったが、念のため、大村附近へ出張っている味方の前衛へ、
「変りはないか」
と、問い合せに、兵を走らせ、その返辞を待っていた。
すると、同じような、危惧を抱いて降りて来たものか、妻女山に陣している柿崎和泉と新発田尾張守のふたりが、
「直江殿。それにか」
と、彼方から近づいて来た。
大和守が、うなずくと、ふたりは、憂いをおびた小声で、
「あなたも眠られないのではないか」
と、いった。
そして、なお、
「全軍の部将みな、こよいは恐らく、同じ思いで、安きここちもござるまい。こんな敵地ふかく凸出《とつしゆつ》して、千曲、犀川の二大河を股《また》ぎ、ほとんど孤塁にひとしいこの山に拠って、いったい如何なる戦《いくさ》をなさろうと遊ばすのか、お館のお胸を推し測《はか》りかねておる。……まさにここは、兵法でいう死地というものであるまいか」
「お館には、いかが遊ばしておられるか」
「御熟睡に窺われる」
「いっそのこと、一同して、御心中を糺《ただ》してみてはどうであろう。御意をおそれて、ただ恟々《きようきよう》としているはよろしくあるまい」
連れ立って、加地安芸守を訪うと、安芸守も同意という。
長尾遠江守も、ここへ着陣したときから、しきりと地相のよくないことを主張していたひとりである。
誰や彼、いつか七、八人になった。深夜ではあったが、旗本から近習《きんじゆう》へと取次を仰いで、
「ちと、お目通りを仰ぎたく」
と、謙信へ通じてもらった。
陣幕の内が、明るくなった。篝へ薪《まき》を足したのであろう。謙信はすぐ起き上がって、
「何事か、打揃うて」
と、一同を見まわし、まだ眠らないのかと、咎めるような眼《まな》ざしであった。
長尾遠江守から、ことばを切って、一同の不安を訴えてみた。併せて、自分たちの意見として、
「やがて、近々に、甲州表の信玄が、大軍をひきいてこれに参るとせば、この拠地《きよち》は、いよいよ不利となりましょう。いまのうちに、ぜひとも、他のよき場所へ、御陣替えねがわしく、御秘策もあることとは存じますが……」
と、畏《おそ》る畏る希望を陳《の》べた。
謙信は笑って、
「その儀か」
と、いった。そして、
「こよいは、将士みな疲れている故、ゆるゆる身をやすめて、明日にでも、評議せんと思うていたが、それほどみなが不安と存ずるなれば、直ちに、謙信のこころを打明けておかねばなるまい……。まだ、これでは顔が揃わんな。ここに見えぬ村上義清、高梨政頼、中条越前守たちも、すぐ呼ぶがよい。謙信の胸を申し告げるであろう」
と、いい渡し、しばし猶予をおいて、そのあいだになお、篝に薪《まき》を加えさせていた。