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上杉謙信19
日期:2018-11-29 22:16  点击:238
 死地の陣
 
 
 ひしひしと、幕将の姿がつめ合った。具足の膝と膝を、大きな円《えん》につなぎ合って。
 一同の揃ったのを見ると、謙信はやがてしずかに、
「各は、この山を、死地なりと相《そう》して、謙信の布陣を案じておらるるそうだが、いかにもここは安全な場所ではない。死地ともいえよう」
 と、まず口をひらいていった。
「——が、思え」
 と、ここから、語気を昂《たか》めて、
「自身、死地に入らずして、いかでか敵の死を制せられよう。いわんや相手は名だたる智謀老巧の信玄である。我れこのたびの出陣には、かならず老虎信玄に近々と一会して、彼を討つか、われ討たるるか、雌雄《しゆう》を一挙に決せんものと、出陣の際、春日山の武神にたいし奉りても、ひそかに、お誓い申して来たことであった」
 いつの戦にでも、その出陣には、春日山の城中で軍神を斎《いつ》き祭り、武諦《ぶたい》の式を執り行って出ることは、上杉家の慣《なら》わしである。——その時の、謙信のすがたを、部将たちは、もういちど眼にえがき直していた。
「各も知るがごとく、信玄の戦ぶりは、つねに重厚《ちようこう》に軍をたたみ、深く内に潜《ひそ》んで、旌旗《せいき》をうごかすや敏、転ずるや速。そして容易にまた動かず、もっぱら深慮遠謀、いやしくも軽々と兵を用いぬ大将である。天文以来、すでに幾回、干戈《かんか》のあいだにまみえても、容易に、彼の中核を粉砕《ふんさい》しあたわぬも、つまりは彼の用兵の妙と、その智謀の並ならぬにある。——一挙、そういう敵に迫り寄って、無二の一戦をなさんには、到底、尋常一様な兵略をもっては難しい。かえって彼に謀られるのみである。——謙信、若年《じやくねん》なるがために、このたびのわが行動を、無謀とも案じるのであろうが、怪しむをやめよ、謙信は決して、軽躁《けいそう》、功をあせっているのではない。人の眼に、九死一生の重地とも思わるるところまで、敢て軍を入れたのは、信玄に対し、これを何と解くや? 禅の一案を、我れから彼に示したのじゃ。彼の解く禅機、われの信ずる禅機、それによる変と動き、それらの事は、口をもってはいい難い。——そのときわが軍配に見よというしかない」
 と、口をむすんで、瞑目《めいもく》、ややしばらくの後、
「そもそもこのたびの戦端は、非義彼にあり、正義われに有り、ひたすら謙信が今日を待つあいだも、汝らをはじめ全軍のものは、この謙信が容易に起たぬを、憤懣していたほどではないか。ここに至って、安全を恃《たの》む陣地に拠らんとは、誰も心から思うてはおるまい。ただ必勝を期しているのみであろう。必勝を期すには、必死を期すこと当然である。——こう観じて来れば、一見、不利無謀にも似るこの陣所も、妙機変通のある山とも見えんか。……はははは。まず、こよい寝て、もういちど夜暁《よあけ》の下に大観してみい。犀川の広さ、千曲川の長さ、ここは敵地ながら、ここの眺めはいつも好きだ。わしも早く起き出《いで》よう。みな、解ったら順に陣所へもどって眠れ。……何の、海津城、こよいはおろか、明日とても、うごいて来るものか。出て来るものか」
 そういい終って、謙信はもう一度、声を放って笑った。
 雁《かり》の音《ね》は、しきりと、雲を縫っていた。

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