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上杉謙信21
日期:2018-11-29 22:17  点击:277
 山中禅
 
 
「下野どの。うまく行ったな」
 黒川大隅は、すこし先へ出たので、駒足をゆるめながら、続いて来る斎藤下野と、そのほかの面々をふり向いた。
 ここまで来ると、道はまっ暗だった。ただ前面に、壁のような山岳が折重なっていることと、附近に、渓流の末らしい流れのあることだけが、水音で察しられる。
「まだ、まだ、わからん」
 下野の返辞である。
 おたがいの顔も見えない。そのくせ、星はキラキラ仰がれるのに、星明りも透《とお》さないほど、闇が厚いのである。
「たれも、落伍はないか」
 同じ声が、案じていう。
 副使の黒川大隅が、
「各《めいめい》、名をいえ。名をいえ」
 と、随員にいった。
 越後を出て来るときから、正使の斎藤下野を初めとして、副使以下、小者まで入れて、十名の一行だった。
「——おります。十人、一人も欠けなくおります」
 やがて、誰かが、答えるのを聞くと、下野は、
「そうか」
 と、安堵したようにうなずいて、しばらく沈黙していたが、やがて駒を下りた。
「——これから先は、雨乞《あまごい》、鞍掛《くらかけ》、鳳来《ほうらい》ケ嶽《たけ》と、山また山ばかり。それを避けて、八ケ岳のふもとを、真っすぐに、一条の早道はあるが、これは信玄が、度々国境へ出馬するため、拓《き》り開いた道で——信玄の棒道《ぼうみち》——と呼んでおるもの。当然、諸所に柵《さく》や砦《とりで》があって、通ることはできない」
 下野は敵国の地理を、わが家の庭のように説明した。そして、
「所詮《しよせん》、山また山を踏み越え、道なきところを、落ちられるだけ落ちてゆくしか方法はない。各も、駒を捨て、徒歩《か ち》になられい。この渓流を渡り、彼方の山地へ入ろう」
 と、いった。
 悲壮な気もちが、自然、一同を無口にさせた。黙々として駒を捨てた。下野は、随員の中の小者へ、十頭の馬をひとまとめにして、附近の林の中へかたく縛《くく》りつけておけと命じた。
「どうせ、敵方の馬、どうなろうと、抛《ほう》って行けばよいでしょう」
 先へ気の急ぐ人々はいったが、斎藤下野は、かぶりを振って、
「農家の駄馬ですら、わが厩を知って田からひとりで帰る。まして飼い馴れたこれらの馬は、放せば忽ち元の道へ飛んで帰ろう。さすれば、追手の手引になる」
 といった。
 しかし、こうした彼の智慮と周到な用意も、それから後は、いかんとも施すに術《すべ》もなかった。
 城外の木戸口を守る者の抜かりから、すでに斎藤下野の一行が、そこを突破したと知った初鹿野伝右衛門の手勢——曲淵《まがりぶち》庄左衛門の手勢などは——間もなくこの山地へ殺到して、山へ迫って来た。
 のみならず、信玄の棒道へ、忽ち、伝騎を飛ばして、先々の砦《とりで》と連絡し、やがて夜明けのころには、完全に、斎藤下野の一行を、甘利山《あまりやま》の上に封じ込めてしまった。
 その行動の迅速なことや、また連絡の手際のよさを見ても、平常から信玄の治領《ちりよう》のよく行き届いていることが分るのである。——それを熟知している斎藤下野は、たちまち、これ以上、逃げようとすることの愚を悟って、
「もう、いけない」
 と、甘利山中の林のなかに、どかと坐りこんで、他の随員にも、
「むだだ。逃げのびようは無い。むしろ清々《すがすが》と、覚悟の前に、しばし夜明けの秋景色でも眺めようじゃないか」
 と、いった。
「…………」
 それまでは、ともあれ、血まなこを帯びて、物音に耳を欹《そばだ》てたり、逃げ口をさがしていた人々も、下野の一言に、各、悲痛な唇もとをむすびながら、
「敵を待って、斬死《きりじに》か!」
 最後の肚を極めたらしく、下野に倣《なら》って、いずれも、どかと、落葉の中に腰を下ろした。
 甲山の秋はすでに濃く、うるしの木は、真っ赤だし、黄いろい葉には、霜があった。——谷の底まで、夜明けの光が映《さ》しこんでゆくにつれて、朝霧のなかには細かい虹が立ち、禽《とり》はしきりと高音《たかね》を張りあげていた。

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09/29 17:31