客来一味
謙信は、芝生《しばふ》に床几をすえ、至極、清楚《せいそ》なすがたを、それへ倚《よ》せていた。
黒糸おどしの具足の上に、菊桐を透《す》かしとした胴肩衣《どうかたぎぬ》を羽織り、皮鞘の長太刀を横たえているに過ぎない。——ただ樹の間から映《さ》す秋の陽に、鎧《よろい》の金小貫や太刀金具が身をゆるがすたびに燦《きらめ》くため、それが甚だしく人の眼を射る。
とはいえ、謙信の眼《まな》ざしは、敢えて人を圧するものではなかった。豊かな頬に、鶯茶《うぐいすちや》の禅家頭巾の裾が垂れている。その柔らかさと、その眸とは、不調和なものではなかった。
わけても、伝右衛門が眼をひかれたのは、一隅に置かれてあった十七絃の唐琴《からこと》と小鼓であった。明珍《みようちん》作りの南蛮鉄に銀の吹返《ふきかえ》しのある兜《かぶと》は、そのわきの具足櫃《ぐそくびつ》のうえに常住の宝物のごとく据《すわ》っていた。
琴と、兜と。
そして、この人と。
伝右衛門は見くらべた。いやそれはもう二義的で、彼は慎《つつし》みながら謙信に対して、使者としての口上をありのまま伝えていた。
「——さればです、主人信玄公の御諚《ごじよう》には、このたびの御挑戦こそまことに遺憾至極。かの割ケ嶽の一条を以てのお憤りならめとは拝察いたしおられますが、それには、仔細ある事、また、その儀とあれば、いかようにも、御和談も相成るべきを、さはなくて不意の御出陣——この上は、永禄元年の御条文も、すでに破棄あそばされたものと所存いたすしかあるまじ。……と、左様に心得て、甲軍の同勢も、かくはこの地まで御挨拶に出向き申した」
「むむ、……そして」
と、謙信は笑靨《えくぼ》をつくる。
伝右衛門はやや語気に力をいれていった。
「——就いては、主人信玄公の申さるるにも、甲越の両家、ここの山川に弓矢の嵐を呼び、相互の士馬軍略を競《きそ》うこと、大戦三、四度、小競合《こぜりあ》いに至っては、幾十回というを知らず、天下の物わらい、百姓の難儀、このたびこそは快《こころよ》く一大合戦を遂げて、雌雄いずれとも勝敗を明らかにいたしとう存ずる旨くれぐれも謙信公へ申し入れよとのお伝えでござりました」
「ほう、左様か。本懐本懐。——謙信もまた同意なりと、立帰ったらよろしくいうてくれい」
「然る上は、忌憚《きたん》なくお伺い仕りますが、犀、千曲の二川を踏み跨いで、かくも深々と、御陣取の態は、さすがに御武勇、独自の胆略と信玄公にも眼をみはられて、武門に生れ、好い敵を持った倖せと申しおられますが、そも、あなた様におかれましては、これより海津の城をお攻め取あらんとする思召しですか、それともまた、このまま、信玄公と平場押しに御一戦のおこころなりや、お伺い申して参れとの、主人からの命にござりまする。——確《しか》と、御返答いただきとうござります」
「これは近ごろ御入念なことである。割ケ嶽の一条といい、またここの戦場といい、お招きも席も、主役は甲斐の機山大居士と存ずる。そちらは亭主、こちらは客。——されば、馳走の膳も、客来一味の簡粗《かんそ》たるも、山海の珍饌《ちんせん》を以てお待ちくださるも、御随意にお始めあるがよろしかろう。謙信、そのほか連れ者も、みな北国そだちの歯の根達者、構えて、献立に骨抜きの御斟酌《ごしんしやく》は要りもうさぬ。はははは……まずまず、御返辞は右の通りである。——伝右衛門とやら、今日の使い、大儀であった」
と、謙信は、さっさと自分から対談を切上げて、傍らに控えていた老将に何やらいいつけると、後方の幕を揚げて、仮屋のうちへかくれてしまった。
客迎えの和田喜兵衛、老将の旨をうけて、残された使者を、幕囲いの外へ誘《いざな》い、べつな仮屋に席を設けて、酒肴《しゆこう》をもてなした。
「主君謙信公からのお心づけです。陣中、何もありませんが、ほんのお弁当がわりに」
こういう中の使者に対して、行届いたことと感じながら、伝右衛門は杯をうけた。喜兵衛は、白木の折敷《おしき》に肴を取り分けて、
「ただ今、鬼小島どのを、これへ呼んで参りますから、悠々《ゆるゆる》おはなしを」
と、会釈《えしやく》して立去った。