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上杉謙信63
日期:2018-11-29 22:35  点击:244
 別 辞
 
 
 死へ向って駆け込む。
 いや、死を捉《とら》えに飛びこむ。
 そういっても、まだ足りない。どういおうといい足りるものではない。
 一瞬、どっと、白刃の波が、敵の中へ、捨身に入ってゆくときの相《すがた》は。——それこそ地上にあるどんな生態の現象にも較《くら》べるものはない。荘厳、雄大、悲痛、快絶。あらわす文字もないほどである。もっと大きな意味をこめていえば、人間のはたらかし得る生命の極致を発したせつなの「美」ここに極まるというしかあるまい。
 このとき、もっとも迅《はや》かったのは、上杉方の柿崎和泉守の隊で隊将以下すべて、みな徒立《かちだ》ちで猛突した。足軽といい、士といい、みな兜の前を俯伏《うつぶ》せて、弾も矢も思わず、驀《まつ》しぐらに、わあアっ、どどどどっ——と駆けた。そしてぶつかった。
 この一手切《いつてぎり》の体当りをうけた甲軍の隊は、山県三郎兵衛昌景《まさかげ》の麾下《きか》だった。
「しまった! 野添っ。弓、鉄砲組を、うしろへ退かせい。長柄隊。前へっ……前へすすめ」
 白桔梗《しろききよう》の旗の下で、三郎兵衛昌景は、おどり上がっていた。
 野添孫八が、その令、更に大声にして、前列へ呶鳴ったが、もう味方は、混乱に落ちていた。
 緒戦に、不意をつかれたのである。まず、鉄砲をうてば、敵も一応鉄砲で来るものとばかり思っているまに、その猛敵は、もう味方の中へ入って来ている。
「上杉家の小田井喜助」
「春日山に人ありといわれた祖母屋《そもや》権之介とはわれぞ」
「古志《こし》左馬之丞だっ。越後武者の手振りを見よ」
 右に聞える声も敵。左にとどろく声も敵。山県昌景《やまがたまさかげ》が、しまったと叫んだことすら遅すぎる。駸々《しんしん》、船底を破って溢れて来る清水のように、見るまに、全陣地は、上杉兵に散らされ、そこやここに、惨として、すでに屍《しかばね》となっている幾多の兵の紅に、霧の霽《は》れ間から、かっと、血よりも紅いかと思われる旭がこぼれていた。
 野面の瘤のような小高いところに立って、この緒戦を見ていた若い甲軍の一将がある。信玄の弟、武田典厩《てんきゆう》信繁であった。
 彼は、八百ばかりの手勢をもって、味方山県の位置よりもはるかに左に備えていたのであるが、
「やっ? これは、上杉勢の士気、尋常ではない。かつて、緒戦からこんな凄まじい戦い振りの敵は見たこともない。おそらく、今日こそは、敗北を知らぬ武田にとっても、九死一生の難戦となろう。いざさらば、典厩信繁も、今日は死ぬ日と覚えたり」
 つぶやくと、彼は、駒に一鞭あてた。敵へ駆け向ったのかと思うと、兄信玄のいる本陣の前に降り、幕をあげて、直ちに信玄の前に立った。
 そして、事態の急と、いまや味方の陣が、最悪な状態に置かれたことを告げて、
「ここ篤《とく》と、利運の御思案が大事と思われまする。武田家の危機、焦眉《しようび》にありというも過言ではありませぬ」
 と、兄にも決心を促した。
 信玄は、かえって、
「典厩か。何しに来た」
 と、落着きはらい、信繁が、眼に涙をたたえながら、
「今生《こんじよう》のお別れに——」
 と、一礼というよりは、涙をかくすためにうつ向くと、信玄はくわっと睨《ね》めつけて、
「汝はまだ、ここの戦場に、肉親の者がおるなどと、胸のどこかに、覚えておるのか。信玄には大切な二万の兵あることのほか、弟など、おるともおらぬとも、考えたことはない。要らざる情、陣務の妨げ、はや立去れっ」
 と、叱りつけた。
「不覚でした。おゆるし下さい」
 典厩は、涙をはらって、兄の本陣を出、馬をとばしていた。すると、
「信繁公におわさずや」
 と、後ろで、声をかける者がある。見まわすとここは山本勘介道鬼の陣前《じんまえ》だった。
「おお、道鬼か」
「はや乱軍とみえまする。かかる中《うち》にはからずも、おすがたを拝し得たのは、尽きせぬ今生《こんじよう》の御縁。多年、御厚恩をこうむりましたが、入道も今日は、長のおわかれを告ぐる日と存じます。御武運、お久しくおわせ」
 ここの陣地も、はや前方の柵は突破され、敵とも味方ともわかぬ死屍《しかばね》は算を乱し、槍の折れ、踏みしだかれた旗さし物など、凄愴の気《き》はみちている。
「何の入道、死出の道は、追ッつけ一つであろうぞ。それにしても、はや御身の陣地までかく敵に駆けみだされたか」
 典厩が、振向いて答えると、
「いや何、それがしも山本道鬼、さまで脆《もろ》くは潰《つい》えませぬ。いったんは敵の本庄越前、柿崎和泉の手勢に、多少、踏み荒されましたが、必死にそれを押返し、敵の退《ひ》き足《あし》につけ入って、わが先鋒隊山県昌景の敗勢を、極力、支えているところです」
「……オオ、彼方の潮にも似た人渦がそれか」
「支えきれば、お味方の勝利、疑いもありません。昨夜、妻女山へ奇襲した一万余の味方が、これへ駈けって参るまで、支えきれば、はやきょうの勝軍《かちいくさ》は、わが甲軍の上に」
 と、いいかけた時、彼のうしろで、ひとりの伝令が、
「軍師。山県隊の右備え、内藤、諸角の二隊が、敵の新発田尾張守、その他の猛撃にあって突きくずされた。疾《と》くその方面へ、加勢の手当をなせとの上意です。お早くっ」
 と、どなってまた駈け去った。
「なに、右備えも」
 と、この老軍師は、もう齢《よわい》も六十をこえている身を、そう聞くと、壮者のように、槍を杖にして、ぬっと立った。
 そして、五、六歩ほど、蹌《よろ》めきつつ歩き出したが、もう一度、典厩のほうを振返って、
「おさらば」
 と、いった。
 典厩は、痛ましげな目を凝《こ》らして見送った。道鬼入道のからだには、すでに幾つかの槍瘡《やりきず》や弾傷が認められた。しかし少しも屈する容子はなく、忽ち、しゃがれ声をふり絞って、何かを、戦塵《せんじん》の裡《うち》へ叫んでいた。

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09/29 13:17