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上杉謙信65
日期:2018-11-29 22:36  点击:309
 吠ゆる野面
 
 
 甲軍の一将、諸角豊後守は、前の日から下痢《げり》を起していた。苦しさに耐えなくなると時々、楯の上へ身を横たえたまま指揮していたが、いまはその病苦もかなぐり捨て、自身、槍を取って敵をくい止めていた。
 これへ当ってきた上杉勢は、甲軍の中央を突破して来た柿崎和泉の隊の鋭角だった。
「雑兵輩《ぞうひようばら》の支《ささ》えに懸けかまうな。二陣、三陣、驀《まつ》しぐらに踏みこえ、ただ八幡の森を目がけよ。彼処《かしこ》にこそ、信玄の本営はあるぞ」
 叫喚《きようかん》のなかに、誰ともわからぬ敵将の声がする。
 諸角豊後守は、身の毛がよだった。敵はいたずらに前衛戦で勝とうとせず、ひたぶるに、信玄の幕営のみを目がけているものと思われたからである。
「ここを突き崩されては」
 見まわせば、彼の部下たちは、いたる所で死力の戦闘にかかっている。槍と槍を噛みあわせている者、忽ち、折れ槍を抛《ほう》って、陣刀をふりかぶったまま血けむりの中へ消えこむように駆けてゆく者。
 真っ赤な大腸を露出した馬が、その間を狂奔してゆく。馬から落ちる者、馬に踏まれる者、馬のあぶみにしがみついて、馬上の敵を引摺り下ろそうとする者。それを鞍上から斬らんとして、かえって、下の敵から突き殺され、無残な戦死をとげる者。
 或いは、獲物を投げて、取っ組み合う。草と土と血を捏《こ》ね返し、死力《しりよく》と死力とが、遂に一方を斃《たお》して、その首をあげるとまた直ちに、
「戦友の讐《かたき》」
 とばかり、新手の敵があらわれる。見るまに、また一つ、また一つ、惜しみなく生命は散らされ、屍《しかばね》は山と積まれてゆく。
 野面《のづら》いちめん、草の葉の露は乾いて、霽《は》れあがった霧に代って、馬煙や血けむりが立ちこめていた。
 何とも名状し難い人間の叫喚と、弦鳴り、銃声、馬のいななき、それに伴う地鳴りなどの間から、その時、
「典厩信繁を討取ったり」
 と、いう上杉方の凱歌と、
「信繁どの、お討死」
 と、悲しむ味方の声とが、交《こもごも》に、諸角豊後の耳に聞えた。

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