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上杉謙信85
日期:2018-11-29 22:44  点击:309
 呉越の道
 
 
 次の日、ひとつ駒の背に、父娘は乗って、いわゆる「信玄の棒道」を、初鹿野伝右衛門は甲府へ向ってゆく。
 身はなお具足に鎧《よろ》っていたが、主君に許されて今は鶴菜の父となりきっている彼だった。
 一城を賜い、一郡を受けるよりも、彼として、これは無上な主恩と感じている。
「鶴菜」
「はい」
「母の顔はおぼえているか」
「わすれません」
「叔母御の顔は」
「覚えております」
「弟たちは」
「うっすらと……」
「無情な親共と恨んだことはないか」
「さらさらございません。ただはやく戦《いくさ》が勝てばお膝のそばに帰れようかと、そればかりを楽しみに」
「今こそ、父の膝に還《かえ》って来た」
「また、いつの日か、越後へ行かなければなりませんか」
「もうよいよい。こんど行くのは、お嫁の先だよ」
 急がない旅となった。秋はいよいよ深い。鶴菜は夢のような心地だった。
 すると、甲府もやがて近い頃、彼方から来る一群の旅人があった。
「あ……?」
 鶴菜は、父の背に、すがりついた。駒の背はひとつである。彼女だけ逃げかくれすることが出来なかった。
「鶴菜。何を怖がるか」
 伝右衛門が振向きながら、手綱をとめてたずねると、鶴菜は怯《おび》えた鶯《うぐいす》のように、そっと眸をあげていった。
「彼方から来る大勢の衆は、みな越後の士《さむらい》方です。そのなかに、黒川大隅《おおすみ》様もいらっしゃいます。大隅様はわたくしの御主人でした。昨日までわたくしをわが子同様に育ててくれたお方。どうしたらよいでしょう」
「なるほど」
 と、伝右衛門も彼方へ眼を凝《こ》らして、
「馬上の二人は、その大隅と、斎藤下野らしい。その他は、先に越後の使者として、甲府に参り、合戦と共に捕えられていた越後衆。はて、どうしてこれへ来たか?」怪しみながら佇んでいるまに、先の十人ばかりの一群は、彼の眼のまえに近づいていた。
「やあ。初鹿野どのではないか」
 元気よく、まずこう先方から声をかけて来た。紛《まぎ》れもない片目の使者斎藤下野である。また副使の黒川大隅とその以下の随員たちである。
「オオ。下野どのか」
 双方から馬を寄せ合って、あたかも旧友の如く、懐かしげに話し出した。
「すでにわれらの手に捕われ、以後、甲府の牢獄におられたはずの御一行が、どうしてこれへ見えられたか」
「されば、見給え、この通り、信玄公の手形もいただき、木戸も関所も、悠々と通って参ったもの。決して、破牢脱走などして来たものではない」
「元より信玄公のおゆるしなくては能わぬことだが、それにして、御帰国後、直に無条件で其許《そこもと》たちを放さるるとは、腑《ふ》に落ちぬこと。いかなる理で御帰国をゆるされたか」
「はははは」
 例の調子で斎藤下野は哄笑しながら、
「このたびの合戦も、まず一応終りを告げたというもの。そこでわれら如き喰いつぶしを、いつまで、甲府の牢に留めおかれたところで、何の意味もござるまい。というて、馘《くびき》らんか、越後表にも、甲府の隠密や信玄公が一類の者、何十人か捕え置いてあれば、いつでもその者共の首を斬って、お酬い申すことができる。——そこはさすがに御賢慮に抜かりのない殿、昨日われらの縄目を解いて、一書を授け、且《か》ついわるるには。——お身らを解いて国許へ帰しつかわす故、春日山に囚《とら》えておる甲州の家人共をも、無事に解いて放されい。と、つまり敵人と味方との生命《いのち》の引換えを申し出られた。——われらもとよりさして欲しい生命でもござらぬが、折角、助けるというものを、無碍《むげ》に断って捨去るのもいかがと思い、のそのそと戦も果てた今頃を、これから越後へ帰る途中でござる」
「いや、それで様子がよく分った。まずは、無事御帰国で、目出度いと申しあげる」
「其許も、川中島に一戦を遂げ、且《か》つは、久しぶりに、おむすめ御も連れ戻られ、この上の祝着はござるまい」
「お察しのとおりでござる。むすめに代って、黒川大隅どのには、とりわけお礼を申しあげる」
 互いに礼を施して、甲府へもどる者と、越後へ帰る一行とは、東西に道を交わし合った。そしてしばらくやり過してから、鶴菜が振向くと、黒川大隅もこなたを振顧《ふりかえ》っていた。個人的には深い情誼《じようぎ》や恩を感じながらも、この戦国の棒道では、こういう別離やこういう挨拶が、何の不自然もなく取交わされて戦わぬ日といえども、黙々のうちに、
「彼は越後」
「彼は甲州の士《さむらい》」
 と、はっきり国土をべつにして顧みなくその国に生きその国に死ぬことを希《ねが》いとしていた。
 

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