静 夜
たれ様の御次男も、さすがによい死方《しにかた》をなされたそうな。
あの家の御主人も、比類ない働きして、見事な戦死をお遂げなされたとか。
遺《のこ》るお家族の人々も、さだめし肩身がお広かろう。日頃のおたしなみの程も窺《うかが》われる。次の戦にはあやかりたいものよ。
川中島の戦も果てたあと。
春日山の城下は一しきり人と人とが寄りあえば、そうした噂にもちきっていた。
そして毎日のように、戦死者の野辺の送りや、遺族の家の弔問に、たれも彼も、わが家も打捨てて歩いていた。
広からぬ越後一国から、一時に三千余の戦死者を出したのである。こういう戦後の現象は春日山城下だけではない。村へ行っても、山間の部落へ行っても、香煙がにおっていた。毎日のように、寺々の鐘が鳴っていた。
上杉謙信は、日を卜《ぼく》して、城下の林泉寺で、大供養を執《と》り行った。
もちろんこの日は、春日山の二十四将以下、家中悉《ことごと》く参列し、また身分のひくい足軽の遺家族といえ、誉《ほま》れある家々の老幼はすべて法筵に列して、親しく、謙信からことばをかけられた。
夕刻、謙信は、帰城した。
晩秋の庭に対して、いつもの如く、寂として坐っていた。
燭が来る。
その燭をすえる位置まで、日常、畳の目ひとつ違っていない。
そういう風に、規律正しく、躾《しつ》けられている近習《きんじゆう》であった。
彼には、妻がない。夜食も禅僧のように質素である。済むとまたすぐ居室に帰る。居室をそのまま、宴楽の席とするようなことはない。ここに戻って坐れば、いつも本来の自分に立ち還っている。黙想か、読書か、稀に、硯《すずり》をよせて、何か書きものなどしている。
「……誰だ」
うしろを見た。
袖部屋のふすまが静かに開《あ》いたからである。
中へ入って、うしろ向きに、ふすまを元のように閉めている者がある。
謙信はすぐ思い出した。
——義清か。と。
夕方、近習が燭を運んで来たとき、今夜、村上義清が折入ってお目にかかりたいと申されていますが、と内意を訊ねていた。いつでも参るようにと、答えてあったのを、謙信はそのまま忘れていたのである。
「お邪《さまた》げになりませぬか」
義清は、遠くに平伏して、そっと燭の方を窺った。
謙信が独り居室に静坐しているときは、たいがい禅に潜心《せんしん》しているのだということを常々聞いているので、こよいもと、畏る畏る、憚《はばか》ったのであった。
——が、謙信のかたわらには、めずらしく、古今集《こきんしゆう》か何かの和歌の書が読みさして伏せてあった。
「いや、かまわぬ。おはいりなさい」
謙信は、近習をよんで、しとねをすすめた。村上義清は、久しく上杉家の帷幕に加わっているが、臣下ではない、客である。いわゆる客将《かくしよう》であった。