窮 鳥
義清はうなだれた。落涙している。
「…………」
燭は白々《しらじら》と主客の沈黙を照らし、庭のしじまをゆく泉の音《おと》がせんかんとその灯を湿らせてくる。時折、時雨かと思うばかり木の葉が大殿の廂《ひさし》を打った。
「思い極めて参りました。義清のねがい、甚だ身勝手にござりますが、お聞き届け賜わりますように」
平伏していう。
そしてなお涙しているらしい。
謙信には思い当ることもないようであった。小首を傾《かし》げて聞いていたが、一体、そのねがいとは何かと、再び義清に訊ねた。
義清は、流涕《りゆうてい》を拭って、漸く、容《かたち》を正し、謹んで今日までの恩遇に謝してから、こういった。
「どうか、九年前に、私から御当家に対して、お縋《すが》り申したお頼みの一条は、取消していただきとう存じます。——つまり今日限り、村上家に対する御任侠はおやめねがいたいのです。それがし自身も、直ちに、お暇を乞うて、高野の山奥へでも、遁世《とんせい》仕る所存にござりますれば」
非常な勇気をもって、義清は一息にいった。生来、善人で遠慮がちなこの人が、これ程のことをいうには、よほどな決意と勇気を胸に誓ってであろうと、正直にその心もちは受けとれるのである。
「ほう」
謙信はその大きな眼を殊さら大きくみはった。
「……では、何といわるる。あなたは、祖先以来の地、旧領信濃に帰って、ふたたび以前の領民にまみえる望みを断念したと仰せらるるのか」
「そうです。……折角、今日まで九ヵ年のあいだ、お館を初め越後衆全体の御援助をこうむりましたが」
ここまでいうと、義清はまた胸をくずして、べたりと、畳に両手を落し、その上に面《おもて》を伏せてしまった。
髪の毛がふるえている。その髪にもはや白い霜が見える。
いまこそ、他家の客分となって、かく謙信の前にも卑下《ひげ》しているが、この人の血液には正しく高貴のながれさえある。清和源氏の末流、信濃の名族だ。気のどくな境遇よと、謙信はその老いを見るにつけすぐ思う。そしてその一半の罪は自分にあるような責任すら覚えるのだった。
いまから十余年前までの村上氏というものは、北信濃一円を威令して、坂城《さかき》の府《ふ》、葛尾《くずのお》の城を中心に、祖先鎮守府将軍源頼義の一族が末裔《まつえい》として、誰も仰ぎ敬う位置に栄えていたものである。
それが、天文年間の半ばごろから、年々、甲斐の武田氏に蚕食《さんしよく》され、上田原の戦をさいごとして、本城は落去《らつきよ》、一族は離散、夫人は千曲川に身を投じて果てるなどという、世が静かなら有り得ない惨たる滅亡を告げてしまった。
天文二十二年の八月。
義清は、殆ど身ひとつで、敗軍の中から遁《のが》れ、この越後へ来て、
(救って下さい)
と、謙信にすがった。
時に、謙信は年まだ二十有余。この名族の果てが、膝を屈して、義に訴えるすがたを、何で、すげなく見ていられよう。そのとき彼が義清に与えた言葉は、
(よろしい。御安心なさい)
明瞭な、然諾《ぜんだく》の一語だった。小国辺隅《へんぐう》、しかも士馬少なく、産業もふるわない北国から起って、謙信が、甲州の強大武田家と、以来、殆ど年々といってよいほど、戦雲を曳いて対峙《たいじ》することになったのは、実に、この一羽の窮鳥が、越後へ入国したのが抑《そもそも》の端緒《たんちよ》である。機《き》ッかけである。謙信対信玄の相剋はここに起因を孕《はら》んだものである——とは、世上一般も、越後の人々も、甲州方でも、あまねく信じているところだった。
かくて、一片の義気から発した戦は、きょうまで、九年の長いあいだに及んでいる。
しかも敵国は強い。士馬精鋭に鳴る甲山の猛将勇卒だ、また宇内《うだい》幾人のうちにかぞえられる名将武田信玄だ。
義清のねがいはまだ達しられない。義清の旧領には、依然、武田の侵略が、そのまま暴威を誇っている。——この状態はついにこのまま永遠のものではないかと、近年は義清も、祖先の地へふたたび還ろうとする夢を、自ら儚《はかな》い望みにすぎないものと諦めかけていたふうであった。
そこへ、きょう。
義清の胸を、痛切に打ちなやましたことがある。林泉寺の大法要であった。