武田伊那丸
二
天正《てんしよう》十年の春も早くから、木曾口《きそぐち》、信濃口《しなのぐち》、駿河口《するがぐち》の八ぽうから、甲斐《かい》の盆地《ぼんち》へさかおとしに攻めこんだ織田《おだ》徳川《とくがわ》の連合軍《れんごうぐん》は、野火《のび》のようないきおいで、武田勝頼《たけだかつより》父子、典厩信豊《てんきゆうのぶとよ》、その他の一族を、新府城《しんぷじよう》から天目山《てんもくざん》へ追いつめて、ひとりのこさず討《う》ちとってしまえと、きびしい軍令《ぐんれい》のもとに、残党《ざんとう》を狩《か》りたてていた。
その結果、信玄《しんげん》が建立《こんりゆう》した恵林寺《えりんじ》のなかに、武田《たけだ》の客分、佐々木承禎《ささきじようてい》、三井寺《みいでら》の上福院、大和《やまと》淡路守《あわじのかみ》の三人がかくれていることをつきとめたので、使者をたてて、落人《おちゆうど》どもをわたせと、いくたびも談判《だんぱん》にきた。
しかし、長老の快川国師《かいせんこくし》は、故信玄《こしんげん》の恩《おん》にかんじて、断乎《だんこ》として、織田《おだ》の要求をつっぱねたうえに、ひそかに三人を逃《の》がしてしまった。
織田《おだ》の間者《かんじや》は、夜となく昼となく、恵林寺《えりんじ》の内外をうかがっていた。ところが、はからずも、勝頼《かつより》の末子《ばつし》伊那丸《いなまる》が、まだ快川《かいせん》のふところにかくまわれているという事実をかぎつけて、いちはやく本陣へ急報したため、すわ、それ逃《の》がしてはと、二千の軍兵《ぐんぴよう》は砂塵《さじん》をまいて、いま——すでにこの寺をさして押しよせてきつつあるのだ。
快川《かいせん》は、それと知っていながら、ゆったりと、朱《しゆ》の椅子《いす》から立ちもせずに、三人の武将をながめた。
「また、織田《おだ》どのからのお使者ですかな」
と、しずかにいった。
「知れたことだ」となかのひとりが一歩すすんで、
「国師《こくし》ッ、この寺内《じない》に信玄《しんげん》の孫、伊那丸をかくまっているというたしかな訴人《そにん》があった。縄《なわ》をうってさしだせばよし、さもなくば、寺もろとも、焼《や》きつくして、みな殺しにせよ、という厳命《げんめい》であるぞ。胆《きも》をすえて返辞《へんじ》をせい」
「返辞はない。ふところにはいった窮鳥《きゆうちよう》をむごい猟師《りようし》の手にわたすわけにはゆかぬ」
と快川のこえはすんでいた。
「よしッ」
「おぼえておれ」と三人の武将は荒々しくひッ返した。そのうしろ姿《すがた》を見おくると、快川《かいせん》ははじめて、椅子《いす》をはなれ、
「左文次《さもんじ》どの、おでなさい」
と合図《あいず》をしたうえ、さらに奥《おく》へむかって、声をつづけた。
「忍剣《にんけん》! 忍剣!」
呼ぶよりはやく、おうと、そこへあらわれた骨たくましいひとりの若僧《わかそう》がある。若僧は、白綸子《しろりんず》にむらさきの袴《はかま》をつけた十四、五|歳《さい》の伊那丸《いなまる》を、そこへつれてきて、ひざまずいた。
「この寺へもいよいよ最後の時がきた。お傅役《もりやく》のそちは一命にかえても、若君を安らかな地へ、お落としもうしあげねばならぬ」
「はッ」
と、忍剣《にんけん》は奥《おく》へとってかえして、鉄の禅杖《ぜんじよう》をこわきにかかえてきた。背には左文次《さもんじ》がもたらした武田家《たけだけ》の宝物《ほうもつ》、御旗楯無《みはたたてなし》の櫃《ひつ》をせおって、うら庭づたいに、扇山《せんざん》へとよじのぼっていった。
ワーッという鬨《とき》の声は、もう山門ちかくまで聞えてきた。寺内は、本堂《ほんどう》といわず、廻廊《かいろう》といわずうろたえさわぐ人々の声でたちまち修羅《しゆら》となった。白羽黒羽《しらはくろは》の矢は、疾風《はやて》のように、バラバラと、庭さきや本堂の障子襖《しようじぶすま》へおちてきた。
「さわぐな、うろたえるな! 大衆《だいしゆ》は山門におのぼりめされ。わしについて、楼門《ろうもん》の上へのぼるがよい」
と快川《かいせん》は、伊那丸《いなまる》の落ちたのを見とどけてから、やおら、払子《ほつす》を衣《ころも》の袖《そで》にいだきながら、恵林寺《えりんじ》の楼門《ろうもん》へしずかにのぼっていった。
「それ、長老と、ご最期《さいご》をともにしろ——」
つづいて、一|山《ざん》の僧侶《そうりよ》たちは、幼《おさな》い侍童《わらわ》のものまで、楼門の上にひしひしとつめのぼった。
寄手《よせて》の軍兵は、山門の下へどッとよせてきて、
「一|山《ざん》の者どもは、みな山門へのぼったぞ、下から焼きころして、のちの者の、見せしめとしてくれよう」
と、うずたかく枯《か》れ草をつんで、ぱッと火をはなった。みるまに、渦《うず》まく煙は楼門をつつみ、紅蓮《ぐれん》の炎《ほのお》は、百千の火龍《かりゆう》となって、メラメラともえあがった。
楼上《ろうじよう》の大衆は、たがいにだきあって、熱苦のさけびをあげて伏《ふ》しまろんだ。なかにひとり、快川和尚《かいせんおしよう》だけは、自若《じじやく》と、椅子《いす》にかけて、眉《まゆ》の毛もうごかさず、
「なんの、心頭《しんとう》をしずめれば、火もおのずから涼《すず》しい——」
と、一|句《く》のことばを、微笑のもとにとなえて、その全身を、焔《ほのお》になぶらせていた。