雷火変
二
日がくれると、膳所《ぜんしよ》の侍《さむらい》が、おびただしい料理や美酒をはこんできて、うやうやしくふたりにすすめた。
「わが君の志《こころざし》でござります。おくつろぎあって、じゅうぶんに、おすごしくださるようにとのおことばです」
「過分《かぶん》です。よしなに、お伝えください」
「それと、城内の掟《おきて》でござるが、ご所持のもの、ご佩刀《はいとう》などは、おあずかりもうせとのことでござりますが」
「いや、それはことわります」と龍太郎《りゆうたろう》はきっぱり、
「若君のお刀は伝家の宝刀、ひとの手にふれさせていい品《しな》ではありませぬ。また、拙者《せつしや》の杖《つえ》は護仏《ごぶつ》の法杖《ほうじよう》、笈《おい》のなかは三尊《さんぞん》の弥陀《みだ》です。ご不審《ふしん》ならば、おあらためなさるがよいが、お渡しもうすことは、誓《ちか》ってあいなりません」
「では……」
と、その威厳《いげん》におどろいた家臣たちは、おずおずと笈のなかをあらためたが、そのなかには、龍太郎の言明したとおり、三体のほとけの像《ぞう》があるばかりだった。そして、杖《つえ》のあやしい点には気づかずに、そこそこに、そこからさがってしまった。
「若君、けっして手をおふれなさるな、この分では、これもあやしい」
と、膳部《ぜんぶ》の吸物椀《すいものわん》をとって、なかの汁《しる》を、部屋の白壁にパッとかけてみると、墨《すみ》のように、まっ黒に変化して染まった。
「毒だ! この魚にも、この飯にも、おそろしい毒薬がまぜてある。伊那丸《いなまる》さま、家康《いえやす》の心はこれではっきりわかりました。うわべはどこまでも柔和《にゆうわ》にみせて、わたしたちを毒害《どくがい》しようという肚《はら》でした」
「ではここも?」
と伊那丸は立ちあがって、塗籠《ぬりごめ》の出口の戸をおしてみると、はたして開《あ》かない。力いっぱい、おせど引けど開かなくなっている。
「若君——」
龍太郎《りゆうたろう》はあんがいおちついて、なにか伊那丸の耳にささやいた。そして、夜のふけるのを待って、足帯《あしおび》、脇差《わきざし》など、しっかりと身支度《みじたく》しはじめた。
やがて龍太郎は、笈《おい》のなかから取りのけておいた一体の仏像《ぶつぞう》を、部屋《へや》のすみへおいた。そして燭台《しよくだい》の灯《ともしび》をその上へ横倒しにのせかける。
部屋の中は、いちじ、やや暗くなったが、仏像の木に油がしみて、ふたたびプスプスと、まえにもまして、明るい焔《ほのお》を立ててきた。
龍太郎は、伊那丸の体をひしと抱きしめて、反対のすみによった。そして、できるだけ身をちぢめながら、じッとその火をみつめていた。プス……プス……焔《ほのお》は赤くなり、むらさき色になりしてゆくうちに、パッと部屋のなかが真暗になったせつな、チリチリッと、こまかい火の粉《こ》が、仏像からうつくしくほとばしりはじめた。
「若君、耳を耳を」と、いいながら龍太郎も、かたく眼をつぶった。
その時——
轟然《ごうぜん》たる音響《おんきよう》とともに、仏像のなかにしかけてあった火薬が爆発した。——浜松城の二の丸の白壁は、雷火《らいか》に裂《さ》かれてくずれ落ちた。
ガラガラと、すさまじい震動《しんどう》は、本丸《ほんまる》、三の丸までもゆるがした。すわ変事《へんじ》と、旗本《はたもと》や、役人たちは、得物《えもの》をとってきてみると、外廓《そとぐるわ》の白壁がおちたところから、いきおいよくふきだしている怪火! すでに、矢倉《やぐら》へまでもえうつろうとしているありさまだ。
「火事ッ、火事ッ——」
降《ふ》りかかる火の粉《こ》をあびて、口々にうろたえた顔をあおむかせていると、ふたたび、どッと、突きくずしてきた白壁の口から、紅蓮《ぐれん》をついてあらわれた者がある。無反《むぞ》りの戒刀《かいとう》をふりかぶった木隠龍太郎《こがくれりゆうたろう》、つづいて、武田伊那丸《たけだいなまる》のすがた。
「曲者《くせもの》ッ」
と下では、騒然《そうぜん》と渦《うず》をまいた。その白刃の林をめがけて、焔《ほのお》のなかから、ひらりと飛びおりた伊那丸と龍太郎——
ああ、その危《あや》うさ。