怪船と巽小文治
三
船べりに頬杖《ほおづえ》ついて、龍太郎を待っていた伊那丸《いなまる》は、宵《よい》からのつかれにさそわれて、いつか、銀河の空の下でうっとりと眠りの国へさまよっていた。——松かぜの奏《かな》でや、舷《ふなばた》をうつ波の鼓《つづみ》を、子守唄のように聞いて。
——すると。
内浦鼻《うちうらばな》のあたりから、かなり大きな黒船のかげが瑠璃《るり》の湖《みずうみ》をすべって、いっさんにこっちへむかってくるのが見えだした。だんだんと近づいてきたその船を見ると徳川家《とくがわけ》の用船でもなく、また漁船《ぎよせん》のようでもない。舳《みよし》のぐあいや、帆柱《ほばしら》のさまなどは、この近海に見なれない長崎型《ながさきがた》の怪船であった。
|ふかしぎ《ヽヽヽヽ》な船は、いつか弁天島《べんてんじま》のうらで船脚《ふなあし》をとめた。そして、親船をはなれた一|艘《そう》の軽舸《はしけ》が、矢よりも早くあやつられて伊那丸《いなまる》の夢をうつつに乗せている小船のそばまで近づいてきた。
ポーンと鉤縄《かぎなわ》を投げられたのを伊那丸はまったく夢にも知らずにいる。——それからも、船のすべりだしたのすら気づかずにいたが、フト胸《むな》ぐるしい重みを感じて目をさました時には、すでに四、五人のあらくれ男がよりたかって、おのれの体に、荒縄《あらなわ》をまきしめていたのだった。
「あッ、龍太郎《りゆうたろう》——ッ」
かれは、おもわず絶叫《ぜつきよう》した。だがその口も、たちまち綿《わた》のようなものをつめられてしまったので、声も立てられない。ただ身をもがいて、伏《ふ》しまろんだ。
水なれた怪船の男どもは、毒魚のごとく、胴《どう》の間《ま》や軽舸の上におどり立って、なにかてんでに口ぜわしくさけびあっている。
「それッ、北岸《きたぎし》へ役人の松明《たいまつ》が見えだしたぞ」
「はやく軽舸《はしけ》をあげてしまえッ」
「帆綱《ほづな》に集《たか》れーッ、帆綱をまけ——」
キリキリッ、キリキリッと帆車《ほぐるま》のきしむおとが高鳴ると同時に、軽舸の底にもがいていた伊那丸《いなまる》のからだは、
「あッ」というまに鉤綱《かぎづな》にひっかけられて、ゆらゆらと波の上へつるしあげられた。
龍太郎《りゆうたろう》はどうした? この伊那丸の身にふってわいた大変事を、まだ気づかずにいるのかしら? それとも、巽小文治《たつみこぶんじ》の稀代《きたい》な槍先《やりさき》にかかってあえなく討たれてしまったのか……?
西北へまわった風を帆《ほ》にうけて、あやしの船は、すでにすでに、入江を切って、白い波をかみながら、外海《そとうみ》へでてゆくではないか。