大鷲の鎖
一
うわべは歌詠《うたよ》みの法師か、きらくな雲水と見せかけてこころはゆだんもすきもなく、武田伊那丸《たけだいなまる》のあとをたずねて、きょうは東、あすは南と、血眼《ちまなこ》の旅をつづけている加賀見忍剣《かがみにんけん》。
裾野《すその》の闇《やみ》に乗じられて、|まんま《ヽヽヽ》と、六部《ろくぶ》の龍太郎《りゆうたろう》のために、大せつな主君を、うばいさられた、かれの無念《むねん》さは思いやられる。
したが、不屈《ふくつ》なかれ忍剣は、たとえ、胆《きも》をなめ、身を粉《こ》にくだくまでも、ふたたび伊那丸《いなまる》をさがしださずに、やむべきか——と果てなき旅をつづけていた。
おりから、天下は大動乱《だいどうらん》、鄙《ひな》も都も、その渦《うず》にまきこまれていた。
この年六月二日に、右大臣織田信長《うだいじんおだのぶなが》は、反逆者光秀《はんぎやくしやみつひで》のために、本能寺であえなき最期《さいご》をとげた。
盟主《めいしゆ》をうしなった天下の群雄は、ひとしくうろたえまよった。なかにひとり、山崎の弔《とむら》い合戦に、武名をあげたものは秀吉《ひでよし》であったが、北国の柴田《しばた》、その他《た》、北条《ほうじよう》徳川《とくがわ》なども、おのおのこの機をねらって、おのれこそ天下をとらんものと、野心の関《せき》をかため、虎狼《ころう》の鏃《やじり》をといで、人の心も、世のさまも、にわかに険《けわ》しくなってきた。
そうした世間であっただけに、忍剣の旅は、なみたいていなものではない。しかも、酬《むく》いられてきたものは、けっきょく失望——二月《ふたつき》あまりの旅はむなしかった。
「伊那丸さまはどこにおわすか。せめて……アア夢《ゆめ》にでもいいから、いどころを知りたい……」
足をやすめるたびに嘆息《たんそく》した。
その一念で、ふと忍剣のあたまに、あることがひらめいた。
「そうだ! クロはまだ生きているはずだ」
かれはその日から、急に道をかえて、思い出おおき、甲斐《かい》の国へむかって、いっさんにとってかえした。
忍剣《にんけん》が気のついたクロとは、そもなにものかわからないが、かれのすがたは、まもなく、変りはてた恵林寺《えりんじ》の焼《や》け跡《あと》へあらわれた。