智恵のたたかい
五
その時であった。
空と波との水平線から、こなたの島をめがけて、征矢《そや》のように翔《か》けてきた一羽のくろい大鷲《おおわし》。
ぱッと、波をうっては水けむりをあげた。空に舞《ま》っては雲にかくれた。——やがて、そのすばらしい雄姿を目《ま》のあたりに見せてきたと思うと、伊那丸《いなまる》と五人の男の乱闘《らんとう》のなかを、さっと二、三ど、地をかすって翔《か》けりまわった。
「わーッ、いけねえ!」
のこらずの者が、その巨大な翼《つばさ》にあおりたおされた。むろん、伊那丸も、四、五|間《けん》ほど、飛ばされてしまった。
嵐か、旋風《つむじ》か、伊那丸は、なんということをも意識《いしき》しなかった。ただ五人の敵! それに一念であるため、立つよりはやく、そばにたおれていたひとりを、斬りふせた。
くろい大鷲《おおわし》は、伊那丸の頭上をはなれず廻っている。砂礫《されき》をとばされ、その翼にあたって、のこる四人も散々《さんざん》になって、気を失《うしな》った。——ふと、伊那丸は、その時はじめて、ふしぎな命びろいをしたことに気づいた。空をあおぐと、オオ! それこそ、恵林寺《えりんじ》にいたころ、つねに餌《え》をやって愛していたクロではないか。
「お! クロだ、クロだ」
かれが血刀《ちがたな》を振って、狂喜《きようき》のこえを空になげると、クロはしずかにおりてきて、小船のはしに、翼をやすめた。
「ちがいない。やはりクロだった。それにしても、どうして、あの鎖《くさり》をきったのであろう」
ふと見ると、足に油紙《あぶらがみ》の縒《よ》ったのが巻きしめてある。伊那丸はいよいよふしぎな念に打たれながら、いそいで解《と》きひらいてみると、なつかしや、忍剣《にんけん》の文字!
若さま、このてがみが、あなたさまの、お目にふれましたら、若さまのおてがみも、かならず私の手にとどきましょう。忍剣《にんけん》いのちのあらんかぎりは、ふたたびお目にかからずにはおりません。甲斐《かい》の山にて。
ハラハラと、とめどない涙《なみだ》を、その数行の文字にはふり落として立ちすくんでいた伊那丸《いなまる》は、いそいで小屋に取ってかえし、今の窮状《きゆうじよう》をかんたんに認《したた》めて、かけもどってきた。
夜はほのぼのと、八重《やえ》の汐路《しおじ》に明けはなれてきた。
見れば、クロはよほど飢《う》えていたらしく、五人の死骸《しがい》の上を飛びまわって、生々《なまなま》しい血に、舌《した》なめずりをしていた。
同じように、かえし文《ぶみ》を、鷲《わし》の片足へむすびつけて、それのおわったとき、伊那丸の目のまえに、さらに呪《のろ》いの悪魔《あくま》が悠々《ゆうゆう》とかげを見せてきた。
八幡船《ばはんせん》の親船がかえってきたのだ。もうすぐそこ——島から数町の波間《なみま》のちかくへ。
「いよいよ最期《さいご》となった。クロ! わしの運命はおまえのつばさに乗せてまかすぞよ」
坐《ざ》して死をまつも愚《ぐ》と、伊那丸は鷲の背中へ、抱きつくように身をのせた。
思うさま、人の血をすすったクロは、両の翼《つばさ》でバサと大地をうったかと思うと、伊那丸の身を軽々とのせたまま、天空高く、舞《ま》いあがった。