笛ふく咲耶子
一
「あれ、あれ、ありゃあなんだ?」
「おお、島からとび立ったあやしい魔鳥《まちよう》」
「鷲《わし》だッ。くろい大鷲《おおわし》だ」
白浪《はくろう》をかんで、満々《まんまん》と帆《ほ》を張ってきた八幡船《ばはんせん》の上では多くの手下どもが、あけぼのの空をあおいで、潮《しお》なりのようにおどろき叫んでいた。
さわぎを耳にして、船部屋《ふなべや》からあらわれた龍巻《たつまき》九郎《くろう》右衛門《えもん》は、ギラギラ射《い》かえす朝陽《あさひ》に小手をかざして、しばらく虚空《こくう》に旋回《せんかい》している大鷲の影をみつめていたが、
「ややッ」にわかに色をかえて、すぐ、
「あの鷲《わし》を射《い》おとせッ、はやくはやく。遠のかねえうちだ」
とあらあらしく叱咤《しつた》した。おう! 手下どもは武器倉《ぶきぐら》へ渦《うず》をまいて、弓鉄砲《ゆみてつぽう》を取るよりはやく、宙《ちゆう》を目がけて火ぶたを切り、矢つぎばやに、征矢《そや》の嵐をはなしたが、鷲《わし》はゆうゆうと、遠く近くとびまわって、あたかも矢弾《やだま》の弱さをあざけっているようだ。
「民蔵《たみぞう》民蔵、新米《しんまい》の民蔵はどうしたッ」
龍巻《たつまき》が足を踏《ふ》みならして、こうさけんだ時、船底からかけあがってきたのは、民蔵《たみぞう》と名をかえて、堺《さかい》から手下になって乗りこんでいた、かの小幡民部《こばたみんぶ》であった。
「おかしら、お呼《よ》びになりましたかい」
「どこへもぐりこんでいるんだ。てめえに、ちょうどいい腕《うで》だめしをいいつける。あの大鷲《おおわし》の上に、人間が抱《だ》きついているんだ、島から伊那丸《いなまる》が逃《に》げだしたにちげえねえ、てめえの腕でぶち落として見ろ」
「えッ、伊那丸とは、なんですか」
「そんなことをグズグズ話しちゃいられねえ、オオまた近くへきやがった、はやく撃《う》てッ」
「がってんです!」
小幡民部の民蔵は、伊那丸と聞いてギクッとしたが、龍巻に顔色を見すかされてはと、わざと勇《いさ》みたって、渡された種子島《たねがしま》の銃口《つつぐち》をかまえ、船の真上へ鷲がちかよってくるのを待った。
と見るまに、鷲はふたたび低く舞《ま》って、帆柱《ほばしら》のてッぺんをさッとすりぬけた。
「そこだ」龍巻はおもわず拳《こぶし》を握りしめる。
同時に、狙《ねら》いすましていた民部《みんぶ》の手から、ズドン! と白い爆煙《ばくえん》が立った。
「あたった! あたった」
ワーッという喊声《かんせい》が、船をゆるがしたせつな、大鷲はまぢかに腹毛を見せたまま、ななめになってクルクルと海へ落ちてきた——と見えたのは瞬間《しゆんかん》。——大きなつばさで海面をたたいたかと思うまに、ギャーッと一声《ひとこえ》、すごい絶鳴《ぜつめい》をあげて、猛然《もうぜん》と高く飛び上がった。
そのとたんに、大鷲《おおわし》の背から海中へふり落とされたものがある——いうまでもなく武田伊那丸《たけだいなまる》であった。龍巻《たつまき》は、雲井《くもい》へかけり去った鷲《わし》の行方などには目もくれず、すぐ手下に軽舸《はしけ》をおろさせて、波間にただよっている伊那丸を、親船へ引きあげさせた。
「民蔵《たみぞう》でかしたぞ。きさまの腕前にゃおそれいッた」
と龍巻は上機嫌《じようきげん》である。そしていままでは、やや心をゆるさずにいた民部《みんぶ》を、すッかり信用してしまった。