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神州天馬侠42
日期:2018-11-30 18:34  点击:274
 笛ふく咲耶子
 
    五
 
 ここしばらく、京都に滞在《たいざい》している徳川家康《とくがわいえやす》の陣営《じんえい》へにわかに目通りをねがってでたのは、梅雪入道《ばいせつにゆうどう》であった。
 家康は、もうとッくに、甲州北郡《こうしゆうきたごおり》の領土《りようど》へ帰国したものと思っていた穴山《あなやま》が、また途中から引きかえしてきたのは、なにごとかと意外におもって、そくざに、かれを引見《いんけん》した。
 梅雪《ばいせつ》は御前《ごぜん》にでて、入道頭《にゆうどうあたま》をとくいそうにふり立てて、かねて厳探中の伊那丸《いなまる》を捕縛《ほばく》した顛末《てんまつ》を、さらに誇張《こちよう》して報告した。さしずめ、その恩賞《おんしよう》として、一万|石《ごく》や二万|石《ごく》のご加増はあってしかるべしであろうといわんばかり。
「ふム……そうか」
 家康《いえやす》のゆがめた口のあたりに二重の皺《しわ》がきざまれた。これはいつも、思わしくない感情をあらわすかれの特徴《とくちよう》である。
「浜松のご城内へまで潜入《せんにゆう》して、君のお命《いのち》をねらった不敵な伊那丸、生かしておきましては、ながく徳川御《とくがわご》一|門《もん》をおびやかし奉《たてまつ》るは必定《ひつじよう》とぞんじまして……」
「待て、待て、わかっておる……」
 梅雪はあんがい、いや、大不服である。
 あれほど、伊那丸の首に、恩賞のぞみのままの沙汰《さた》をふれておきながら、この無愛想《ぶあいそう》な口ぶりはどうだ。
 しかし家康は、梅雪がうぬぼれているほど、かれを腹心《ふくしん》とは信じていない。
 日本の歴史にも、中華《ちゆうか》史上にも少ないくらいな、武士《ぶし》の面《つら》よごしが、武田《たけだ》滅亡のさいに、二人あった。一人はこの梅雪、一人は小山田信茂《おやまだのぶしげ》である。
 織徳《しよくとく》連合軍におわれた勝頼主従《かつよりしゆじゆう》が、その臣《しん》、小山田信茂の岩殿山《いわどのやま》をたよって落ちたとき、信茂は、柵《さく》をかまえて入城をこばみ、勝頼一門が、天目山《てんもくざん》の討死《うちじに》を見殺しにした。そして、それを軍功顔《ぐんこうがお》に、織田《おだ》の軍門へ降《くだ》っていった。
 信長《のぶなが》の子、織田城之助《おだじようのすけ》は、小山田《おやまだ》を見るよりその不忠不人情を罵倒《ばとう》して、褒美《ほうび》はこれぞと、陣刀《じんとう》一閃《いつせん》のもとに首を討ちおとした。——そういう例もある。
 ましてや、梅雪入道《ばいせつにゆうどう》は、武田家譜代《たけだけふだい》の臣《しん》であるのみならず、勝頼《かつより》とは従弟《いとこ》の縁《えん》さえある。その破廉恥《はれんち》は小山田以上といわねばならぬ。
 ——けれど家康《いえやす》は、城之助とちがって、何者をも利用することを忘れない大将であった。
「梅雪、伊那丸《いなまる》を捕《とら》えたともうすが、それだけか」
「は? それだけとおおせられますると」
「たわけた入道よな。武田家の護《まも》り神《がみ》とも崇《あが》めておった御旗楯無《みはたたてなし》の宝物《ほうもつ》は、たしかに、伊那丸がかくしているはずじゃ。その儀《ぎ》をもうすのにわからぬか」
「はッ、いかさま。それまでには気がつきませんでした。さっそく、糺明《きゆうめい》いたしてみます」
「仏《ほとけ》つくって、魂《たましい》いれぬようなことは、家康、大のきらいじゃ。伊那丸の首と、御旗楯無《みはたたてなし》とをそろえて、持参いたしてこそ、はじめて、まったき一つの働きをたてたともうすもの」
「願わくば、ここ二月《ふたつき》のご猶予《ゆうよ》を、この入道にお与えくださりませ。きっとその宝物と、伊那丸の塩漬《しおづ》け首とを、ともにごらんに供《そな》えまする」
 梅雪入道は、家康にかたく誓《ちか》って、そこそこに堺《さかい》へ立ちもどった。にわかに家来一同をまとめて、領土へ帰国の旨《むね》を布令《ふれ》だした。
 その前にさきだって、小幡民部《こばたみんぶ》の民蔵《たみぞう》は、いずこへか二、三通の密書《みつしよ》をとばした。はたしてどことどことへ、その密書がいったかは、何人《なんぴと》といえども知るよしはないが、うち一通は、たしかに鞍馬山《くらまやま》の僧正谷《そうじようがたに》にいる、果心居士《かしんこじ》の手もとへ送られたらしい。
 堺《さかい》を出発した穴山《あなやま》の一族|郎党《ろうどう》は、伊那丸《いなまる》をげんじゅうな鎖《くさり》駕籠《かご》にいれ、威風堂々《いふうどうどう》と、東海道をくだり、駿府《すんぷ》から西にまがって、一路甲州の山関《さんかん》へつづく、身延《みのぶ》の街道へさしかかった。
 ここらあたりは、見わたすかぎり果てしもない晩秋の広野である。
 ——ああそこは伊那丸にとって、思い出ふかき富士《ふじ》の裾野《すその》。加賀見忍剣《かがみにんけん》と手に手をとって、さまよいあるいた富士の裾野。
 けれど、鎖網《くさりあみ》をかけた、駕籠《かご》のなかなる伊那丸の目には、なつかしい富士のすがたも見えなければ、富士川の流れも、枯《か》れすすきの波も見えない。
 ただ耳にふれてくるものは、蕭々《しようしよう》と鳴る秋風のおと、寥々《りようりよう》とすだく虫の音があるばかり。
 すると、どこでするのか、だれのすさびか、秋にふさわしい笛《ふえ》の音《ね》がする。その妙《たえ》な音色《ねいろ》は、|ふと《ヽヽ》伊那丸の心のそこへまで沁《し》みとおってきた。——かれは、まッ暗な駕籠《かご》のなかで、じッと耳をすました。
「お! 咲耶子《さくやこ》、咲耶子の笛ではないか」
 思わずつぶやいた時である。なにごとか、いきなりドンと駕籠《かご》がゆれかえった。

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