天翔る鞍馬の使者
二
「竹童《ちくどう》竹童、その泉《いずみ》の水を少々くんでこい」
「ハイ」
あっけにとられて見ていた竹童は、居士《こじ》にいいつけられたまま、岩のあいだから、こんこんと湧《わ》きいでている泉をすくってきた。
「かわいそうにこの鷲《わし》は、片目を鉄砲で撃《う》たれているため、だいぶ苦しがっている。はやくその霊泉《れいせん》で洗ってやるがよい。すぐなおる」
「ハイ」
竹童は草の葉ひとつかみを取ってひたし、いくたびか鷲の目を洗ってやった。大鷲《おおわし》は心地よげに竹童のなすがままにまかせていた。
「おまえの道案内《みちあんない》はこの鷲だ。これに乗ってかける時は千里の旅も一日の暇《ひま》じゃ、よいか」
「これに乗るんですか、お師匠《ししよう》さま、あぶないナ」
「たわけめが」
喝《かつ》! と叱《しか》りつけた果心居士《かしんこじ》は、竹童がアッというまに襟《えり》くびをグッとよせて、
「エーッ」と一声、片手につかんでほうりなげた。ブーンと風を切った竹童のからだは、珠《たま》のごとく飛んで、はるかあなたの築山《つきやま》の上へいって、ヒョッコリ立ったが、たちまち、そこからかけもどってきてニコニコ笑いながら澄《す》ましている。
「お師匠さま、またいたずらをなさいましたね」
「どうだ、どこかけがでもしたか」
「いいえ、そんな竹童《ちくどう》ではございません。わたしはお師匠《ししよう》さまから、まえに浮体《ふたい》の術を授《さず》かっておりますもの」
「それみよ。なぜいつもその心がけでおらぬ。この鷲《わし》に乗っていくのがなんであぶない、浮体《ふたい》の息《いき》を心得てのれば一本の藁《わら》より身のかるいものだ」
「わかりました。さっそくいってまいります」
「オオ書面にて認《したた》めておいたが、時おくれては、武田伊那丸《たけだいなまる》さまのお身があぶない、いや、あるいは小幡民部《こばたみんぶ》どのの命《いのち》にもかかわる、いそいでいくのじゃ」
「そして、だれにこの手紙をわたすのですか」
「高尾《たかお》の奥院《おくのいん》にかくれている、加賀見忍剣《かがみにんけん》どのという者にわたせばよい。その忍剣はこの鷲のすがたを毎日待ちこがれているであろう。またこの鷲も霊鷲《れいしゆう》であるから、かならず忍剣のすがたを見れば地におりていくにちがいない」
「かしこまりました。よくわかりました」
「かならず道草《みちくさ》をしていてはならぬぞ」
「ハイ、心得ております」
と竹童はしたくをした——したくといっても、例の棒《ぼう》切れを刀のように腰へさして、稗《ひえ》と草の芽《め》を団子《だんご》にした兵糧《ひようろう》をブラさげて、ヒラリと鷲の背にとびつくが早いか、鷲は地上の木の葉をワラワラとまきあげて、青空たかく飛びあがった。
伊那丸《いなまる》とちがって竹童《ちくどう》は、浮体《ふたい》の法を心得ているうえ、深山にそだって鳥獣《ちようじゆう》をあつかいなれている。かれはしばらく目をつぶっていたがなれるにしたがって平気になりはるかの下界《げかい》を見廻しはじめた。
「オオ高い高い、もう鞍馬《くらま》も貴船山《きぶねやま》も半国《はんごく》ケ岳《たけ》も、あんな遠くへ小《ち》ッちゃくなってしまった。やア、京都の町が右手に見える、むこうに見える鏡《かがみ》のようなのは琵琶湖《びわこ》だナ、この眼下は大津《おおつ》の町……」
と夢中《むちゆう》になっているうちに、ヒュッとなにかが、耳のそばをうなってかすりぬけた。
「や、なんだ」
と竹童はびっくりしてふりかえった時、またもや下からとんできたのは白羽《しらは》の征矢《そや》、つづいてきらきらとひかる鏃《やじり》が風を切って、三の矢、四の矢と隙《すき》もなくうなってくる。
「おや、さてはだれか、この鷲《わし》をねらうやつがある、こいつはゆだんができないゾ」
と竹童は例の棒《ぼう》切れを片手に持って、くる矢くる矢をパラパラと打ちはらっていたが、それに気をとられていたのが不覚《ふかく》、たいせつな果心居士《かしんこじ》の手紙を、うッかり懐中《ふところ》から取りおとしてしまった。
「アッ、アアアアア……しまった!」
ヒラヒラと落ちいく手紙へ、思わず口走りながら身をのばしたせつな、竹童のからだまで、あやうく鷲の背中《せなか》からふりおとされそうになった。