天罰くだる
一
たったひとりの少女を生けどるのに、四天王《してんのう》ともある者や、多くの荒武者《あらむしや》が総がかりとなったのは、大人《おとな》げないと恥《は》ずべきであるのに、かれらは大将の首でもとったように、ワッと、勝鬨《かちどき》をあげながら、丘《おか》の上からおりていった。
まもなく、馬前《ばぜん》へひッ立てられてきた咲耶子《さくやこ》をひとめ見た梅雪入道《ばいせつにゆうどう》は、鞍《くら》の上から|はッた《ヽヽヽ》とにらみつけて、
「こりゃ小娘ッ、ようも汝《なんじ》は、道しるべをいたすなどともうして、思うさまこの方《ほう》をなぶりおったな。いまこそ、その細首をぶち落としてくれるから待っておれ」
面《おもて》に朱《しゆ》をそそいで、鞍《くら》の上からののしったのち、
「民蔵《たみぞう》民蔵」とはげしく呼び立てた。
「はッ」と走りだした小幡民部《こばたみんぶ》は、チラと、入道のおもてを見ながら片手をつかえた。
「なんぞご用でござりまするか」
「おお民蔵か、あっぱれなそのほうの軍配《ぐんばい》ぶり、褒美《ほうび》は帰国のうえじゅうぶんにとらすであろう、ところで、不敵なこの小娘、生かしておけぬ、そちに太刀とりをもうしつくるほどに、余《よ》が面前で、血祭《ちまつ》りにせい」
「あいや、それはしばしご猶予《ゆうよ》ねがいまする」
「なに、待てともうすか」
「御意《ぎよい》にござりまする。いまこの小娘を血祭りにするときは、ふたたびまえにもてあましたる野武士《のぶし》が、復讐《ふくしゆう》に襲《おそ》うてくること必定《ひつじよう》。もとより、千万の野武士があらわれようとて、おそるるところはござらぬが、この小娘を|おとり《ヽヽヽ》として、さらに殿のお役に立てようがため、せっかく生捕《いけど》りにいたしたもの、むざむざここで首にいたすのはいかがとぞんじます」
「奇略《きりやく》にとんだその方《ほう》のことゆえ、なお上策《じようさく》があればまかせおくが、して、この小娘をおとりにしてどうする所存《しよぞん》であるか」
「秘中《ひちゆう》の秘《ひ》、味方といえども、余人《よじん》のいるところでは、ちともうしかねます」
「もっともじゃ、ではこれへしたためて見せい」
ヒラリと投げてきたのは一面の軍扇《ぐんせん》。
民部《みんぶ》は即座《そくざ》に矢立《やたて》をとりよせ、筆をとって、サラサラ八|行《ぎよう》の詩《し》を書き、みずから梅雪《ばいせつ》の手もとへ返した。
「どれ」と、入道《にゆうどう》はそれを受けとり、馬上で扇面《せんめん》の文字を読み判《はん》じて——
「む、どこまでもそちは軍師《ぐんし》じゃの」と膝《ひざ》をたたいて、感嘆《かんたん》した。その秘策《ひさく》とは、すなわち、これから馬をすすめて五湖の底にあるという武田家《たけだけ》の宝物《ほうもつ》御旗楯無《みはたたてなし》をさぐりだし、同時に、伊那丸《いなまる》をもそこで首にしてしまおうというおそろしい献策《けんさく》。
じつは穴山梅雪《あなやまばいせつ》も、これから甲斐《かい》の国へはいる時は、武田《たけだ》の残党《ざんとう》もあろうゆえ、伊那丸を首にする場所にも、心をいためていたところだった。しかし、この富士の裾野《すその》なら安心でもあるし、御旗楯無《みはたたてなし》の宝物《ほうもつ》まで、手にはいれば一挙両決《いつきよりようけつ》、こんなうまいことはない。すぐまた都へ取ってかえし、家康《いえやす》から、多大の恩賞《おんしよう》をうけ、そのうえ帰国してもけっしておそくはない。
「そうだ、この小娘もそのとき首にすれば、世話なしというもの……」
梅雪はとっさにそう思ったらしい、あくまで信じきっている民部《みんぶ》の献策《けんさく》にまかせて、ふたたび郎党《ろうどう》を一列に立てなおし、民部と咲耶子《さくやこ》を先《さき》にして、裾野《すその》を西へ西へとうねっていった。
そのあいだに民部は、なにごとかひくい声で、咲耶子にささやいたようであった。かしこい彼女は、黙々《もくもく》として聞えぬふりで歩いていたが、その瞳《ひとみ》は、ときどき意外な表情をして民部にそそがれた。そんな、こまかいふたりの挙動《きよどう》は、はるかあとから騎馬《きば》でくる梅雪の目に、べつだんあやしくもうつらなかった。
やがて、裾野の野道がつきて、長い森林にはいってきた。そこをぬけると、青いさざなみが、木《こ》の間《ま》から見えだした。
「おお湖水《こすい》へでた! 湖《みずうみ》が見えた!」
軍兵《ぐんぴよう》どもは、沙漠《さばく》に泉《いずみ》を見つけたように口々に声をもらした。そのほとりには、小さな社《やしろ》があるのも目についた。つかつかと社の前へあゆみ寄った小幡民部《こばたみんぶ》は、「白旗《しらはた》の宮《みや》」とあるそこの額《がく》を見あげながら、口のうちで、「白旗の宮? ……源家《げんけ》にゆかりのありそうな……」とつぶやいて小首をかしげたが、ふいと向きなおって、こんどはおそろしい血相《けつそう》で、咲耶子《さくやこ》をただしはじめた。
「これッ。武田家《たけだけ》の宝物《ほうもつ》をしずめた湖水は、ここにそういあるまい、うそいつわりをもうすと、痛《いた》いめにあわすぞ、どうじゃ!」
「は、はい……」咲耶子は、にわかに神妙《しんみよう》になって、そこへひざまずいた。
「もうお隠《かく》しもうしても、かなわぬところでござります。おっしゃるとおり、御旗楯無《みはたたてなし》の宝物は、石櫃《いしびつ》におさめて、この湖《みずうみ》のそこに沈めてあるにそういありませぬ」
「まったくそれにちがいないか!」
「神かけていつわりはもうしませぬ」
「よし、よく白状《はくじよう》いたした。おお殿《との》さま。ただいまのことばをお聞きなされましたか」
ちょうどそこへ、おくればせに着いた梅雪《ばいせつ》のすがたをみて、民部が、こういいながら馬上を見上げると、かれは笑《え》つぼに入《い》ってうなずいた。
「聞いた。かれのもうすところたしかとすれば、すぐ湖水からひきあげる手くばりせい」
「はッ、かしこまりました」
民部はいさみ立ったさまをみせて、郎党《ろうどう》たちを八ぽうへ走らせた。まもなく、地理にあかるい土着《どちやく》の里人《さとびと》が、何十人となくここへ召集されてきた。そして、狩《か》りだされてきた里人や郎党《ろうどう》は、多くの小船に乗りわかれて、湖水の底へ鉤綱《かぎづな》をおろしながら、あちらこちらと漕《こ》ぎまわった。