湖南の三|騎士
三
わーッ、わーッと湖畔《こはん》にあがったどよみごえ。
さては伊那丸《いなまる》がとらえられたか、咲耶子《さくやこ》が斬られたか、あるいは、小幡民部《こばたみんぶ》がたおれたのであろうか。
いやいや、そうではなかった。——一声《ひとこえ》たかくいなないた駒《こま》のすがたが、忽然《こつねん》とそこへあらわれたがため。
まッ先におどりこんできたのは、高尾の神馬《しんめ》、月毛《つきげ》の鞍《くら》にまたがった加賀見忍剣《かがみにんけん》、例の禅杖《ぜんじよう》をふりかぶって真一文字《まいちもんじ》に、
「やあやあ、お心づよくあそばせや伊那丸《いなまる》さま! 加賀見忍剣、ただいまこれへかけつけましたるぞッ。いでこのうえは穴山《あなやま》一|族《ぞく》のヘロヘロ武者《むしや》ども、この忍剣の降魔《ごうま》の禅杖をくらってくたばれ!」
天雷《てんらい》くだるかの大音声《だいおんじよう》。
むらがる剣《つるぎ》を雑草ともおもわず、押しかかる槍《やり》ぶすまを枯《か》れ木のごとくうちはらって、縦横無尽《じゆうおうむじん》とあばれまわる怪力《かいりき》は、さながら金剛力士《こんごうりきし》か、天魔神《てんまじん》か。
時をおかず、またもやこの一|角《かく》へ、どッと黒鹿毛《くろかげ》の馬首《ばしゆ》をつッこんできたのは、これなん戒刀《かいとう》の名人|木隠龍太郎《こがくれりゆうたろう》、つづいて、朱柄《あかえ》の槍《やり》をとっては玄妙無比《げんみようむひ》な巽小文治《たつみこぶんじ》のふたり。
紫白《しはく》の手綱《たづな》を、左手《ゆんで》に引きしぼり、右手《めて》に使いなれた無反《むぞ》りの一|剣《けん》をひっさげた龍太郎は、声もたからかに、
「それにおいであるのは小幡民部殿《こばたみんぶどの》か。木隠龍太郎、小太郎山《こたろうざん》よりただいまご助勢《じよせい》にかけむかってまいったり。木《こ》ッ葉武者《ぱむしや》どもは、拙者《せつしや》がたしかに引きうけもうしたぞ」
黒鹿毛の蹄《ひづめ》をあげて、無《む》二|無《む》三にかけちらしながら、はやくも鞍上《あんじよう》の高きところより、右に左に、戒刀《かいとう》をふるって血煙《ちけむり》をあげる。
「いかに穴山入道《あなやまにゆうどう》はいずれにある。巽小文治が見参《げんざん》、卑劣者《ひれつもの》よ、いずれにまいったか」
十|方自在《ぽうじざい》の妙槍《みようそう》をひッ抱《かか》え、馬に泡《あわ》をかませながら、乱軍のうちを血眼《ちまなこ》になって走りまわっていたのは小文治である。
「うぬ、小ざかしい、いいぐさ」
その姿をチラと見て、まッしぐらにかけよってきた四天王《してんのう》の猪子伴作《いのこばんさく》は怒喝《どかつ》一番、
「素浪人《すろうにん》ッ」
さッと下から笹穂《ささほ》の槍《やり》を突きあげた。
「おうッ」と横にはらって返した朱柄《あかえ》の槍《やり》。
人交《ひとま》ぜもせずに、一|騎《き》打ちとなった槍《やり》と槍《やり》は、閃光《せんこう》するどく、上々下々、秘練《ひれん》を戦わせていたが、たちまち、朱柄《あかえ》の槍《やり》さきにかかって、猪子伴作《いのこばんさく》は田楽刺《でんがくざ》しとなって、草むらのなかへ投げとばされた。
と、白旗《しらはた》の宮《みや》の裏《うら》から、よろばいだした法師武者《ほうしむしや》がある。こなたの混乱《こんらん》に乗じて、そこなる馬に飛びつくや否《いな》、死にものぐるいであなたへむかって走りだした。
オオそれこそ、さきに一太刀うけて、さわぎのうちにどこかへもぐりこんでいた梅雪入道《ばいせつにゆうどう》ではないか。
「やッ、きゃつめ!」
こなたにあって、天野刑部《あまのぎようぶ》の大《おお》薙刀《なぎなた》と渡りあっていた木隠龍太郎《こがくれりゆうたろう》は、奮然《ふんぜん》と、刑部を一刀の下《もと》に斬《き》ってすて、梅雪の跡《あと》からどこまでも追いかけた。
ピシリ、ピシリ、ピシリ! 戒刀《かいとう》の平《ひら》を鞭《むち》にして追いとぶこと一|町《ちよう》、二町、三町……だんだんと近づいて、すでに敵のすがたをあいさることわずかに十七、八|間《けん》。
すると、何者が切ってはなしたのか、梅雪の馬のわき腹へグサと立った一本の矢、いななく声とともに、人もろとも馬はどうと屏風《びようぶ》だおれとなった。
行く手の丘に小高いところがあった。そこの松の切株《きりかぶ》の上に立っていたひとりの武芸者《ぶげいしや》は、いななく馬の声をきくと、弓を小わきに持ってヒラリと飛びおりてきた。