早足の燕作
三
はやくも、一の洞門に鬨《とき》の声があがる。
まッ先に攻めつけてきたのは武田伊那丸《たけだいなまる》であった。要所のあんないは咲耶子《さくやこ》。すぐあとから、加賀見忍剣《かがみにんけん》と木隠龍太郎《こがくれりゆうたろう》のふたりが、右翼《うよく》左翼の力をあわせて、おのおの二十人ほどひきつれ、えいや、えいや、洞門《どうもん》の前へおしよせてきた。
いっぽう——人穴《ひとあな》から、どッと流れおちている水門口へかかった巽小文治《たつみこぶんじ》は、槍《やり》ぞろい十五名の部下をつれて、水門をぶちこわそうとしたが、頭の上へガラガラと岩や大木を投げつけてくるのに悩《なや》まされた。のみならず、水門には、頑丈《がんじよう》な鉄柵《てつさく》が二重になっているうえ、足場《あしば》のわるい狭隘《きようあい》な谿谷《けいこく》である。おまけに、全身水しぶきをあびての苦戦は一通《ひととお》りでない。
うら山の嶮《けん》にのぼって、殿堂へ矢を射《い》こもうとした山県蔦之助《やまがたつたのすけ》以下の弓組も、とちゅう、おもわぬ道ふさぎの柵《さく》にはばめられたり、八方《はつぽう》わかれの謎道《なぞみち》にまよわされたりして、やっとたどりついたが、はやくもそれと知った丹羽昌仙《にわしようせん》が、望楼《ぼうろう》のうえから南蛮銃《なんばんじゆう》の筒口《つつぐち》をそろえて、はげしく火蓋《ひぶた》を切ってきた。
丹羽昌仙の北条流《ほうじようりゆう》の軍配《ぐんばい》と、二千の野武士《のぶし》と、この天嶮無双《てんけんむそう》な砦《とりで》によった人穴《ひとあな》の賊徒《ぞくと》らは、こうしてビクともしなかった。
ついにむなしくその夜は明けた。——二日目もすぎた。三日目にも落とすことができなかった。ああなにせよ小勢《こぜい》、いかに伊那丸があせっても、しょせん、百人足らずの小勢では洞門ひとつ突き破ることもむずかしそうである。
「民部《みんぶ》、わしはこんどはじめて、戦《いくさ》の苦しさを知った。あさはかな勇にはやったのが恥《はず》かしい。しかし武夫《もののふ》、このまま退《ひ》くのは残念じゃ」
前面の高地、雨ケ岳を本陣として、ひとまず寄手《よせて》をひきあげた伊那丸《いなまる》が、軍師《ぐんし》小幡民部《こばたみんぶ》とむかい合って、こういったのがちょうど九日目。
「ごもっともでござります」民部も軍扇《ぐんせん》を膝《ひざ》について、おなじ無念にうつむきながら思わず、
「ああ、ここにもう二、三百の兵さえあれば、策《さく》をかえて、一つの戦略をめぐらすことができるのだが」
とつぶやくと、伊那丸も同じように、嘆《たん》をもらして、
「そのむかし、武田菱《たけだびし》の旗の下《もと》には、百万二百万の軍兵《ぐんぴよう》が招《まね》かずしてあつまったものを」
「また、わが君のおうえにも、かならず輝きの日がまいりましょう。いや、不肖《ふしよう》民部の身命《しんめい》を賭《と》しましても、かならずそういたさねば相なりませぬ」
「うれしいぞ民部。けれど、みすみす敵を目のまえにしながら、わずか七、八十人の味方とともにこのありさまでいるようでは……」
と無念の涙をたたえていると、いままで、うしろに黙然《もくねん》としていた木隠龍太郎《こがくれりゆうたろう》が、なに思ったか、
「伊那丸さま——」
とすすみだして、
「どうぞ某《それがし》に四日のお暇《いとま》をくださいますよう」
といいだした。
「なに四日の暇をくれともうすか」
「されば、ただいま民部どのが、欲《ほ》しいとおっしゃっただけの兵を、かならずその日限《にちげん》のうちに、若君のおんまえまで召《め》しあつめてごらんにいれまする」
「おお龍太郎どの——」
と民部は、うれしそうな声と顔をひとつにあげて、
「民部、畢生《ひつせい》の軍配《ぐんばい》のふりどき、ぜひともごはいりょをおねがいもうすぞ」
「しかし、いまの戦国|多端《たたん》のときに、二、三百の兵を四日にあつめてくるのは容易《ようい》でないこと。龍太郎、それはまちがいないことか……」
伊那丸《いなまる》は気づかわしそうな顔をした。
が龍太郎はもう立ちあがって、敢然《かんぜん》と礼《れい》をしながら、
「ちと心算《しんさん》もござりますゆえ、なにごとも拙者《せつしや》の胸におまかせをねがいます。ではわが君、民部どの、きょうから四日のちに、三百人の軍兵《ぐんぴよう》とともにお目にかかるでござりましょう」
仮屋《かりや》の幕《まく》をしぼって、陣をでた木隠龍太郎は、みずから「項羽《こうう》」と名づけた黒鹿毛《くろかげ》の駿馬《しゆんめ》にまたがり、雨ケ岳の山麓《さんろく》から真一文字《まいちもんじ》に北へむかった。
すると、かれのすがたを見かけた者であろうか、
「おおうい。おおうい木隠《こがくれ》どの——」
と呼《よ》びかけてくる者がある。駒《こま》をとめてふとふりかえると、本栖湖《もとすこ》のほうから槍組《やりぐみ》二隊をひきつれてそこへきた巽小文治《たつみこぶんじ》が、せんとうに朱柄《あかえ》の槍をかついで立ち、
「おそろしい勢いで、どこへおいでなさるのじゃ」
とふしぎそうにかれを見あげた。
「おお小文治《こぶんじ》どのか、拙者《せつしや》はにわかに大役をおびて、これから小太郎山《こたろうざん》へ立ちかえるところだ」
「ふーむ、ではいよいよ人穴攻《ひとあなぜ》めは断念《だんねん》でござるか」
「どうしてどうして。ほんとうの合戦《かつせん》はこれから四日目だ。なにしろいそぎの出先《でさき》、ごめん——」
「おお待ってくれ。いったいなんの用で小太郎山へお帰り召《め》さるのじゃ」
と小文治《こぶんじ》がききかえすまに、駿馬項羽《しゆんめこうう》のかげは木隠をのせて、疾風《しつぷう》のごとく遠ざかってしまった。
難攻不落《なんこうふらく》の人穴攻めは、こうしてあと四日ののちを待つことになった。しかし、伊那丸《いなまる》や、忍剣《にんけん》や民部《みんぶ》などの七将星のほかに、果心居士《かしんこじ》の秘命《ひめい》をうけている竹童《ちくどう》は、そもそもこの大事なときを、どこでなにをまごまごしているのだろう。
いくらのんきな竹童でも、まさか、お師匠《ししよう》さまの叱言《こごと》をわすれて、裾野《すその》の野うさぎなんかと、すすきのなかでグウグウ昼寝もしていまいが、もういいかげんに、なにかやりだしてもよいじぶん。
ぐずぐずしていれば、丹羽昌仙《にわしようせん》の密使《みつし》が、秀吉《ひでよし》のところへついて、いかなる番狂《ばんくる》わせが起ろうも知れず、四日とたてば、木隠《こがくれ》龍太郎の吉左右《きつそう》もわかってくる。どっちにしても、ここ二、三日のうちに果心居士《かしんこじ》の命《めい》をはたさなければ、こんどこそ竹童、鞍馬山《くらまやま》から追《お》ンだされるにきまっている。