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神州天馬侠81
日期:2018-11-30 18:56  点击:276
 吹針の蚕婆
 
    二
 
「野武士《のぶし》のうちにも人物があるぞ」
 別室にうつって、福島正則《ふくしままさのり》の手から密書《みつしよ》をうけ取った秀吉《ひでよし》は、一読して、すぐグルグルとむぞうさに巻《ま》きながら、
「丹羽昌仙《にわしようせん》というやつ、ちょっと使えるやつじゃ。したがこの手紙の要求などをいれることはまかりならん。ほっとけ、ほっとけ」
「信玄《しんげん》の孫、伊那丸《いなまる》とやらが、ふたたび、甲斐源氏《かいげんじ》の旗揚《はたあ》げをいたす兆《きざ》しが見えると、せっかく、かれからもうしてまいったのに、そのままにいたしておいても、大事はござりますまいか」
「市松《いちまつ》、そこが昌仙のぬからぬところじゃ。われからことに援兵《えんぺい》をださせて、北条《ほうじよう》、徳川《とくがわ》などの領地《りようち》をさわがせ、その機《き》に乗じておのれの野心をとげんとする。——秀吉《ひでよし》にそんな暇《ひま》はない、乳《ちち》くさい伊那丸ごとき者にほろぼされる者なら滅《ほろ》んでしまえ」
「では、だれか一、二名をつかわして、呂宋兵衛《るそんべえ》のようす、また、武田伊那丸《たけだいなまる》の形勢などを、さぐらせて見てはいかがでござりましょうか」
「む、それはよいな。——だが、待てよ、家康《いえやす》の領内をこえていかにゃならぬ。腹心の者はみな顔を知られているし、そうかともうして、凡々《ぼんぼん》な小者《こもの》ではなんの役にも立つまいのう」
「それには、屈強《くつきよう》な新参者《しんざんもの》がひとりござります」
「それやだれだ」
「可児才蔵《かにさいぞう》という豪傑《ごうけつ》でござる。わたくしじまんの家来、ちかごろのほりだし者と、ひそかに鼻を高くしておるほどの者でござりまする」
「む、山崎の合戦《かつせん》このかた、そちの幕下《ばつか》となった評判《ひようばん》の才蔵か、おお、あれならよろしかろう」
 正則《まさのり》は、秀吉《ひでよし》のまえをさがって、やがて、この旨《むね》を可児才蔵にふくませた。
 才蔵は新参者《しんざんもの》の身にすぎた光栄と、いさんでその夜、こっそりと鳥刺《とりさ》し稼業《かぎよう》の男に変装《へんそう》した。そして|もち《ヽヽ》竿《ざお》一本肩にかけ安土《あづち》の城をあかつきに抜けて、富岳《ふがく》の国へ道をいそぐ——
 ずっと後年《こうねん》——関ケ原の役《えき》に、剣頭にあげた首のかずを知らず、斬っては笹《ささ》の枝にさし、斬っては笹に刺《さ》したところから、「笹《ささ》の才蔵《さいぞう》」と一世に武名をうたわれた評判男は、いよいよこれから、武田伊那丸の身辺に近づこうとする変装《へんそう》の鳥刺し、この可児才蔵であった。
 剣道は卜伝《ぼくでん》の父|塚原土佐守《つかはらとさのかみ》の直弟子《じきでし》。相弟子《あいでし》の小太郎と同格といわれた腕、槍《やり》は天性《てんせい》得意とする可児才蔵《かにさいぞう》が、それとは似《に》もつかぬもち竿《ざお》をかついで頭巾《ずきん》に袖《そで》なしの鳥刺《とりさ》し姿。
「ピピピピッ、……ピョロッ、ピョロ、ピョロ……」
 時々は、吹きたくない鳥呼笛《とりよびぶえ》をふき、たまには、雀《すずめ》の後《あと》をおっかけたりして、東海道の関所《せきしよ》から、関所を、たくみに切りぬけてくるうちに、これはどうだろう、かほどたくみに変装《へんそう》したかれを、もうひとりの男が、見えつかくれつ、あとをつけて、慕《した》っていく。
 ところが、世の中はゆだんがならない、その男はとちゅうからつけだしたのではなく、じつは、安土《あづち》の城からくっついてきているのだ。
 同じ日に、浜松から安土《あづち》へきた家康《いえやす》の家臣、徳川|四天王《してんのう》のひとり本多忠勝《ほんだただかつ》が、こッそりその男をつけさせた。——というのは、竹ノ子|笠《がさ》の燕作《えんさく》が、正則《まさのり》に密書《みつしよ》をわたしたようすを、休息所の窓《まど》から、とっくりにらんでいたのである。
「はてな?」小首をかしげた忠勝《ただかつ》は、主人家康と面談をすましてから、とものなかにいる菊池半助《きくちはんすけ》という者をひそかによんだ。そしてなにかささやくと、半助はまたどこかへか立ち去った。
 この菊池半助も、前身は伊賀《いが》の野武士《のぶし》であったが、わけあって徳川家《とくがわけ》に見いだされ、いまでは忍術組《にんじゆつぐみ》の組頭《くみがしら》をつとめている。いわゆる、徳川時代の名物、伊賀者《いがもの》の元祖《がんそ》は、この菊池半助《きくちはんすけ》と、柘植半之丞《つげはんのじよう》、服部小源太《はつとりこげんた》の三|羽烏《ばがらす》。そのひとりである半助が、忍術《にんじゆつ》に長《た》けているのはあたりまえ、あらためてここにいう要がない。したがって偽鳥刺《にせとりさ》しの可児才蔵《かにさいぞう》の後をつけ、落ちつく先の行動を見とどけるくらいな芸当は、まったく朝飯前《あさめしまえ》の仕事だった。

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