石投げの名人
一
秋の水がつめたくなって、鮠《はや》も山魚《やまめ》もいなくなったいまじぶん、なにを釣《つ》る気か、ひとりの少年が、蘆川《あしかわ》の瀞《とろ》にむかって、釣《つ》り糸《いと》をたれていた。
少年、年のころは十五、六。
すこし低能《ていのう》な顔だちだが、目だけはずるく光っている。鳥《とり》の巣《す》みたいな髪の毛をわらでむすび、まッ黒によごれた山袴《やまばかま》をはいて、腰には鞘《さや》のこわれを、|あけび《ヽヽヽ》の蔓《つる》でまいた山刀一本さしていた。
「ちぇッ、釣れねえつれねえ、もうやめた!」
とうとう、かんしゃくを起したとみえて、いきなり竿《さお》をビシビシと折って、蘆川《あしかわ》のながれへ投げすてた。
「あ、瀞《とろ》の岩にせきれいが遊んでいやがる。そうだ、これからは鳥うちだ、ひとつ小手しらべにけいこしてやろうか」
と、足もとの小石を三つ四つ拾いとったかと思うと、はるか、流れの中ほどをねらって、おそろしく熟練《じゆくれん》した礫《つぶて》を投げはじめた。
「やッ——」と、小石に気合いがかかって飛んでいく。
と見るまに、二|羽《わ》のせきれいのうち、一羽が瀞《とろ》の水に落ちて、うつくしい波紋《はもん》をクルクルと描《えが》きながら早瀬《はやせ》のほうへおぼれていった。
「どんなもんだい。蛾次郎《がじろう》さまの腕まえは——」
かれはひとりで鼻うごめかしたが、もうねらうべきものが見あたらないので、こんどは、たくみな水切りの芸をはじめた。一つの小石が、かれの手からはなれるとともに、なめらかな水面を、ツイッ、ツイッ、ツイッと水を切っては跳《と》び、切っては跳《と》ぶ、まるで、小石が千鳥《ちどり》となって波を蹴《け》っていくよう。
「七つ切れた! こんどは十!」
調子《ちようし》にのって、蛾次郎がわれをわすれているときだ。
そこから二、三町はなれたところの河原《かわら》で、ただならぬさけび声がおこった。かれはふいに耳をたって、四、五|間《けん》ばかりかけだしてながめると、いましも、ひとりの兇漢《きようかん》が、皎々《こうこう》たる白刃《はくじん》をふりかぶって、小《ち》ッぽけな小僧《こぞう》をまッ二つと斬りかけている。
それは、燕作《えんさく》と、竹童《ちくどう》だった。
竹童はいまや必死のところ、樫《かし》の棒切《ぼうき》れを風車《かざぐるま》のようにふって、燕作の真剣《しんけん》と火を飛ばしてたたかっているのだ。しかし、大の男のするどい太刀《たち》かぜは、かれに目瞬《まばたき》するすきも与えず、斬り立ててきた。あわや、竹童は血煙とともにそこへ命を落としたかと見えたが、
「あッ——」
ふいに燕作が、唇《くちびる》をおさえながら、タジタジとよろけた。どこからか、風を切って飛んできた小石に打たれたのである。
「しめた!」と、竹童は小さな体《からだ》をおどらせて、ピシリッと、燕作の耳《みみ》たぶをぶんなぐった。
「野郎《やろう》ッ!」
怒髪《どはつ》をさかだてて、ふたたび太刀を持ちなおすと、またブーンとかれの小手へあたった第二の礫《つぶて》。
「ア痛《いた》ッ」
ガラリと道中差《どうちゆうざし》をとり落としたが、さすがの燕作も、それを拾いとって、ふたたび立ち直る勇気もないらしい。笑止《しようし》や、四尺にたらぬ竹童にうしろを見せて、例の早足《はやあし》。雲を霞《かすみ》と逃げだした。
「待て。意気地《いくじ》なしめ!」
竹童《ちくどう》は、急に気がつよくなって、こんどはまえと反対に、かれを追ってドンドン走りだすと、ちょうど、あなたからも河原づたいに、黒鹿毛《くろかげ》の駒《こま》を疾風《しつぷう》のごとく飛ばしてくるひとりの勇士があった。——見るとそれは秘命をおびて、伊那丸《いなまる》の本陣|雨《あま》ケ岳《たけ》をでた奔馬《ほんば》「項羽《こうう》」。——上なる人はいうまでもなく、白衣《びやくえ》の木隠龍太郎《こがくれりゆうたろう》だ。
「や、や、あいつは伊那丸《いなまる》がたの武将らしいぞ」
と、戸まどいした燕作《えんさく》が、その行く先でうろうろしているうちに、たちまちかけよった龍太郎《りゆうたろう》、
「これッ」
と、すれちがいざま、右手をのばして燕作の首すじをひっつかみ、やッと馬上へつるし上げたかとおもうと、
「往来《おうらい》のじゃまだ!」
手玉《てだま》にとってくさむらのなかへほうりこみ、そのまま走りだすと、こんどはバッタリ竹童にいき会った。
「おお、それへおいでなされたのは龍太郎さま——」
「やあ、竹童ではないか」ピタリと「項羽」の足をとめて、
「なんでこんなところでうろついているのだ。呂宋兵衛《るそんべえ》の手下どもに見つけられたら、命《いのち》がないぞ、はやく鞍馬山《くらまやま》へ立ち帰れ」
「ありがとうございますが、まだこの竹童には、お師匠《ししよう》さまからいいつけられている大役があるんです。ところで龍太郎さまは、これからいずれへおいそぎですか」
「されば小太郎山《こたろうざん》へまいって、三百人の兵をかりあつめ、ここ四日ののちに、人穴城《ひとあなじよう》を攻めおとす計略《けいりやく》」
「わたくしがやる仕事も四日目です。どうも、お師匠《ししよう》さまのおさしずは、ふしぎにピタリピタリと伊那丸《いなまる》さまの計略と一致するのが妙《みよう》でございます」
「ふーむ……してその密計とはどんなことだ?」
「天機《てんき》もらすべからず。——しゃべるとお師匠《ししよう》さまからお目玉を食《く》います。それよりあなたこそ、どうして三百人という兵がわずか四日で集められますか、まさかわら人形でもありますまいに」
「それも、軍機《ぐんき》は語るべからずじゃ」
「あ、しっぺ返しでございますか」
「オオ、そんなのんきな問答をいたしている場合ではない、竹童《ちくどう》さらば!」
と、ふいに鞭《むち》をあげて、行く手をいそぎだそうとすると何者か、
「ばかだな、ばかだなあ! あの人はいったいどこへいくつもりなんだい!」とあざわらう声がする。
木隠龍太郎《こがくれりゆうたろう》も竹童も、そのことばにびっくりしてふりかえると、石投げをしていた蛾次郎《がじろう》がいつかのっそりそこに立っていた。