鼻かけ卜斎と泣き虫蛾次郎
二
菊池半助《きくちはんすけ》を肩にかけて、まっ暗な人無村《ひとなしむら》をかけていった蛾次郎《がじろう》は、やがて、おおきな荒屋敷《あれやしき》の門へはいった。
見ると、そこが卜斎《ぼくさい》の細工小屋《さいくごや》か、東のすみにぽッと明るい焔《ほのお》がみえて、トンカン、トンカン、槌《つち》と鉄敷《かなしき》のひびきがしている。そしてときどき、小屋のなかから白い煙とともに、シューッとふいごの火の粉《こ》がふきだしていた。
「親方、お客さまをつれてきた、旅のお侍さんで、けがをして難渋《なんじゆう》しているんだから、今夜とめてやっておくんなさい」
蛾次郎《がじろう》がおどおどしながら、細工場《さいくば》のとなりの雨戸をあけて、ひろい土間へはいると、手燭《てしよく》をもって奥からつかつかとでてきたのは、主人の卜斎《ぼくさい》であろう。陣羽織《じんばおり》のような革《かわ》の袖《そで》なしに、鮫柄《さめづか》の小刀を一本さし、年は四十がらみ、両眼するどく、おまけに、仕事場で火傷《やけど》でもしたけがか、片鼻《かたはな》が、そげたように欠《か》けている。
人呼んで、鼻かけ卜斎《ぼくさい》と綽名《あだな》している名人の鏃師《やじりし》。なにさま、ひとくせありそうな人物である。
「蛾次公《がじこう》、昼間からどこをうろつきまわっているのだ。このバカ野郎《やろう》め!」
卜斎《ぼくさい》は、つれてきた半助などには目もくれず、頭からこの怠《なま》け者の抜け作などとどなりつけて、さんざん油をしぼったあげく、
「それに、あとで聞けば、てめえは、夕方、物置小屋から、二、三十本の松明《たいまつ》をぬすみだしていったそうだが、いったい、そんな物をどこへ持ちだして、なんのために使ったのだ。うそをいうとこれだぞ!」
いきなり弓の折れを持って、羽目板《はめいた》をピシリッとうった。その音のはげしいこと、蛾次郎のふるえあがったのはむろん、菊池半助《きくちはんすけ》さえ度胆《どぎも》を抜かれた。
卜斎はその時はじめて、半助のほうへ気をかねて、
「まあよいわ、お客人がいるから、てめえの詮議《せんぎ》はあとにしよう。ときに旅のお武家さま、なにしろ今夜は更《ふ》けておりますから、この上の中二階へあがって、ごゆるりとお休みなさるがいい。そこに夜具《やぐ》もある、火の気《け》もある、食《く》い物《もの》もある、男世帯《おとこじよたい》の屋敷ですから、好《す》きにしてお泊りなさい」
「かたじけない、ではお言葉にあまえて夜明けまで……」
と、半助はそこにいるのも気まずいので、びっこを引きながら、おしえられた中二階の梯子《はしご》を、ギシリ、ギシリと踏んでいった。
「はてな……」と、梯子をあがりながら一つの疑念——「どこかで見たことのある男だが? ……ただの鏃師《やじりし》ではない、たしかにどこかで? ……」と、しきりに思いなやんだが、とうとう、中二階へあがるまで考えだせなかった。
卜斎《ぼくさい》にいわれたまま、押入れから蒲団《ふとん》をだして、そのうえに身を横たえながら、膝《ひざ》の槍傷《やりきず》を布《ぬの》でまきつけていると、また、すぐ下の土間《どま》であらあらしい声が起りはじめた。
「野郎《やろう》、どうあってもいわぬな! いわなければ、こうだッ」
弓の折れがヒュッと鳴ると、蛾次郎《がじろう》がオイオイと声をあげて泣きだした。まるで七つか八つの子供が泣くような声で泣いている。
「いいます、親方、いいますからかんべんしてください」
「では、何者にたのまれて、松明《たいまつ》を盗みだした。さ、ぬかせ」
「白旗《しらはた》の森にいる、竹童《ちくどう》というわたしより五歳《いつつ》ばかり下の童《わつぱ》にたのまれたんです。その者にやりました」
「あきれかえったバカ者だ。じぶんより年下の餓鬼《がき》に、手先に使われるとは情けないやつ、しかし、てめえもなにかもらったろう。ただで松明《たいまつ》をやるはずがない」
「いいえ、なんにももらいなんかしやしません」
「まだいいぬけをしやがるか!」
またピシリッと弓の折れがうなる、蛾次郎《がじろう》がヒイヒイと泣く、すぐその上にいる菊池半助は、これではとても今夜は寝られないと思った。
それに気をいらいらさせられたか、かれは寝床からはいだして、ふたたび梯子口《はしごぐち》からコマねずみのようにそッと顔をだした。そのとき、半助ははじめて、卜斎《ぼくさい》の姿容《すがたかたち》を、よく見ることができて、思わず、
「あッ」と、すべりでそうな声をかみころした。
「どこかで見たと思ったはず——あれは、越前北《えちぜんきた》ノ庄《しよう》の主《あるじ》、柴田権六勝家《しばたごんろくかついえ》の腹心だ——おお、鏃師《やじりし》の鼻かけ卜斎《ぼくさい》とは、よくも巧《たく》みに化《ば》けたりな、まことは、鬼柴田《おにしばた》の爪《つめ》といわれた上部八風斎《かんべはつぷうさい》という軍師築城《ぐんしちくじよう》の大家《たいか》。いつも柴田権六が、攻略の軍をだすときに、そのまえから敵の領土へ住みこんで、砦《とりで》のかまえ、水利、地の理、残るくまなくさぐって、一挙に掌握《しようあく》するという、おそろしい人物だ。——その八風斎がこの裾野《すその》へ巣《す》を作ったところをみると、さては、野心のふかい柴田勝家、はやくも天下をこころざす足がかりに、この一帯《いつたい》へ目をつけたものだろう。武田伊那丸《たけだいなまる》といい呂宗兵衛《るそんべえ》といい、また秀吉《ひでよし》の手の者が入りこんだことといい、いちいち徳川家《とくがわけ》の大凶兆《だいきようちよう》。こりゃ、裾野《すその》一帯《いつたい》いよいよゆだんのならぬものばかりだ……」
半助は、耳を畳《たたみ》にこすりつけて、さらに、階下《かいか》の声を一語も聞きもらすまいと息をのんでいた。と、下ではまた卜斎《ぼくさい》の声で、
「なに? ではその竹童《ちくどう》という童《わつぱ》に、二十本の松明《たいまつ》をくれて、そのかわりに鷲《わし》にのせてもらったというのか。やい! 泣きじゃくってばかりいたのではわからぬわい。はっきりと口をきけ」
「そ、そうなんです……」
ベソをかきながら答えてるのは蛾次郎《がじろう》の声だ。
「松明を持っていったら、そのお礼《れい》に大きな鷲の背なかへ乗せてくれましたから、白旗《しらはた》の森の上から空へあがって、五湖や裾野《すその》の上をグルグルとまわってまいりました」
「そうか、それでしさいがわかった」
と卜斎はうなずいて、なお、竹童のようすや、鷲のことなどをつぶさにただしたから、蛾次郎はゆるされるのかと思っていると、荒縄《あらなわ》で両手をしばりあげたまま、松明をぬすみだした物置小屋のなかへ三日間の監禁《かんきん》をいいわたされてほうりこまれてしまった。
そのあとは、卜斎も寝入り、細工《さいく》小屋の槌音《つちおと》もやんでシーンと真夜中の静けさにかえったが、半助だけは、うすい蒲団《ふとん》をかぶって横になりながらも、まだ寝もやらず目をパチパチとさせていた。
「鷲《わし》、鷲! 竹童というやつが、自由自在につかう飛行の大鷲! おお、そいつを一つ巻きあげて、こんどの手柄《てがら》としてかえろう……」
とかれは、ふと思いついた胸中の奇策《きさく》に、ニタリと悦《えつ》をもらしたが、そのとき、なんの気なしに天井《てんじよう》を見あげるや否《いな》、かれは、全身の血を氷のごとく冷《つめ》たくして、
「や、や、やッ」と、目をむいて、ふるえあがった。