深夜の珍客
二
意外なおもいにうたれた忍剣と小文治の目は、つぎに部屋《へや》のなかをながめまわした。
ここは卜斎《ぼくさい》の書斎《しよさい》とみえて、兵書、武器、種々な鏃《やじり》の型図面《かたずめん》などがざったにちらかっており、なかにも一|挺《ちよう》の種子島《たねがしま》が、いま使ったばかりのように、火縄《ひなわ》をそえて、かれのそばにおいてあった。
「いかにもご推察《すいさつ》のとおり、われわれはいま雨《あま》ケ岳《たけ》を本陣としている、武田伊那丸《たけだいなまる》さまの旗本《はたもと》でござるが、してそこもとは何人《なんぴと》? またここはいったいいずこでござりますか?」
ややあって、忍剣《にんけん》が、こう問いただした。
「ここは、やはり裾野《すその》の村、おふたりが間道《かんどう》へはいられた蚕婆《かいこばばあ》の家から、さよう、ざっと五、六町はなれた鏃鍛冶《やじりかじ》の小屋でござる。すなわち、手まえは主《あるじ》の卜斎ともうす者」
「ではそちも、鏃鍛冶《やじりかじ》とは世をあざむく稼業《かぎよう》で、まことは蚕婆とおなじように、人穴城《ひとあなじよう》の見付《みつけ》をいたしているのであろうが!」
小文治《こぶんじ》が、グッと急所を押すと、卜斎は、ひややかに嘲笑《あざわら》って、
「とんでもないこと、けっしてさような者ではございません」
「だまれ、呂宋兵衛《るそんべえ》の隠密《おんみつ》でない者が、なんで床下《ゆかした》から間道《かんどう》へ通じるようにしかけてあるのだ」
「なるほど、それはごもっともなおうたがいじゃ。いかにもこの卜斎鏃鍛冶とはほんの一時の表稼業《おもてかぎよう》で、まことはおさっしのとおり隠密《おんみつ》にそういない」
「さてこそ、間者《かんじや》!」
小文治《こぶんじ》と忍剣《にんけん》は、腰の大刀をグイとにぎって、あわやおどりかからんずる気勢をしめした。
片手を斜《なな》めにさし向けて、きッと、体をかまえなおした卜斎《ぼくさい》、
「じゃが、おさわぎあるなご両所、隠密《おんみつ》は隠密でも、呂宋兵衛《るそんべえ》のごとき曲者《くせもの》の手先となって、働くような卜斎ではございません——」
と、左右のふたりへ、するどい眼をそそぎながら、
「——まことかくもうす卜斎こそは、北国《ほつこく》一の雄《ゆう》、柴田権六勝家《しばたごんろくかついえ》が間者、本名|上部八風斎《かんべはつぷうさい》という者、人穴《ひとあな》の築城《ちくじよう》をさぐろうがため、ここに鏃師《やじりし》となって、家の床下《ゆかした》から八ぽうへかくし道をつくり、ここ二|星霜《せいそう》のあいだ、苦心していたのでござる」
「おう……」うめくがようにふたりは顔を見あわせて、
「音にきこえた鬼柴田《おにしばた》の|ふところ《ヽヽヽヽ》刀、上部八風斎とはそこもとでござったか。してその御人《ごじん》が、なんのご用ばしあって、われわれをお止《と》めなされた」
「されば、それがしの主君勝家より密命があって、ご不運なる武田家《たけだけ》の御曹子《おんぞうし》へ、ひとつの贈《おく》り物をいたそうがため」
「はて、柴田家《しばたけ》より伊那丸君《いなまるぎみ》へ、そもなんの贈り物を?」
「すなわちこの品《しな》——」
と、八風斎がしめしたのは、かれが学力の蘊蓄《うんちく》をかたむけて、くまなくさぐりうつした人穴《ひとあな》の攻城図、獣皮《じゆうひ》につつんで大せつに密封《みつぷう》してあるものだった。
「——かねてから主君|勝家《かついえ》は、若年《じやくねん》におわし、しかも、孤立無援《こりつむえん》に立ちたもう伊那丸《いなまる》さまへ、よそながらご同情いたしておりました。折から、このたびのご苦戦、ままになるなら、北国|勇猛《ゆうもう》の軍馬をご加勢に送りたいは山々なれど、四|隣《りん》の国のきこえもいかが、せめては武家の相身《あいみ》たがい、弓取り同士のよしみの印《しるし》までにもと、この攻城図を、ご本陣へさしあげたいというおいいつけ」
「なんといわるる、ではそこもとが、苦心に苦心をかさねて写《うつ》されたこの秘図を、おしげもなく、伊那丸さまへおゆずりなさろうとおっしゃるか」
「いかにも、これさえあれば、人穴城《ひとあなじよう》の要害《ようがい》は、掌《たなごころ》をさすごとく、大手搦《おおてから》め手の攻め口、まった殿堂、櫓《やぐら》にいたるまで、わが家のごとく知れまする。すなわちこの一枚の図面は、千人の援兵《えんぺい》にもまさること万々《ばんばん》ゆえ、一刻もはやく、ご本陣へまいらせたいこのほうの志《こころざし》、なにとぞ、伊那丸さまへ、よしなにお取次ぎを」
「ああ、世は澆季《すえ》でなかった」
と、忍剣《にんけん》も小文治《こぶんじ》も、胸をうたれずにおられなかった。
越前北《えちぜんきた》ノ庄《しよう》の鬼柴田《おにしばた》といえば、弱肉強食の乱世《らんせい》のなかでも、とくに恐ろしがられている梟雄《きようゆう》だのに、こんな美しい、情けの持主《もちぬし》であろうとは、きょうまで夢《ゆめ》にも知らなかった。——なんとゆかしい弓取りのよしみであろう。
そして、むろんこれはこばむことではないと思った。
さだめし、伊那丸《いなまる》さまをはじめ同志の人々がよろこぶことと信じて、そくざに、八風斎《はつぷうさい》の願いをゆるし、雨《あま》ケ岳《たけ》の本陣へあんないすることを快諾《かいだく》した。
八風斎も欣然《きんぜん》として、衣服大小をりっぱにあらため、獣皮《じゆうひ》につつんだ図面を懐中《ふところ》にいれ、ふたりのあとについて屋敷をでた。
いっぽう、蚕婆《かいこばばあ》の家で、たむろをしていた部下の者たちは、床下《ゆかした》の穴から濛々《もうもう》たる煙がふきだしてきたので、すわこそ、忍剣と小文治の身のうえに、変事があったにちがいないと、すくなからずさわぎあっていた。そこへ意外な方角から、ふたりが無事でかえってきたので、一同あッけにとられてしまった。
やがて、勢ぞろいをして、人無村《ひとなしむら》をでてゆく一列の軍馬を見れば、まッさきに馬上の加賀見忍剣《かがみにんけん》、おなじく騎馬《きば》たちの上部八風斎《かんべはつぷうさい》、巽小文治《たつみこぶんじ》、それにしたがう二十余人の兵。——この一列が整々《せいせい》として雨《あま》ケ岳《たけ》の本陣へかえってくるまに、富士《ふじ》の山は、銀の冠《かんむり》にうす紫《むらさき》のよそおいをして、あかつきの空に君臨《くんりん》し、流るる霧《きり》のたえまに、裾野《すその》の朝がところどころ明けかけてくる。
人無村の柿《かき》の木には、今朝《けさ》も烏《からす》がむれていた。