死地におちた雨ケ岳
三
「木隠《こがくれ》が出立《しゆつたつ》してから、きょうで、はや四日目。——かれのことだ。よも、裏切《うらぎ》りもすまいが、なんの沙汰《さた》もないのは、どうしたのか。おいとしや、若君のご武運もいまは神も見はなし給うか」
床几《しようぎ》によって、まなこをとじながら、こうつぶやいた小幡民部《こばたみんぶ》。
ここは、陣屋というもわびしい、武田伊那丸《たけだいなまる》のいる雨《あま》ケ岳《たけ》の仮屋《かりや》である。軍師《ぐんし》民部は、きのうから幕《まく》のそとに床几をだして、ジッと裾野《すその》をみつめたまま、龍太郎《りゆうたろう》のかえりを、いまかいまかと待ちかねていた。
が——龍太郎のすがたはきょうもまだ見えない。四日のあいだには、かならず兵三百を狩《か》りあつめて、帰陣すると誓《ちか》ってでた木隠龍太郎。ああ、かれの影はまだどこからも見えてこない。
いよいよ、絶望とすれば、ふたたび、人穴城《ひとあなじよう》を攻めこころみて、散るか咲くかの、さいごの一戦! それよりほかはみちがない。すでに兵倦《へいう》み、兵糧《ひようろう》もとぼしく、もとより譜代《ふだい》の臣でもない野武士《のぶし》の部下は、日のたつほどひとり去りふたりにげ、この陣地をすて去るにちがいない。
「軍師《ぐんし》、軍師、小幡民部どの!」
ふいに、耳もとでこうよぶ声。
あれやこれ、思いしずんでいた民部が、ふと、見あげると、巽小文治《たつみこぶんじ》と加賀見忍剣《かがみにんけん》が連れ立ってそこにある。
「オ。これはご両所《りようしよ》、なんぞご用で」
「一昨日《おととい》からかなたにあって、待ちわびている者が、もういちどこれを最後として、若君へお取次ぎを願って見てくれいと申して、いッかなきかぬ。——軍師《ぐんし》から伊那丸《いなまる》さまへ、もういちどおことばぞえねがわれまいか」
「おお、上部八風斎《かんべはつぷうさい》のことですか、その儀《ぎ》は、拙者《せつしや》からも再三若君のお耳へいれたが、断《だん》じて会わんという御意《ぎよい》のほか、一こうお取上げにならぬしまつ。事情をいうて追いかえされたがよろしかろう」
「は」
といったが、ふたりの面《おもて》はとうわくの色にくもった。
じぶんたちが独断で、八風斎を本陣へつれてきたのがわるかったか。伊那丸は対面無用といったまま、耳もかさないのである。また、八風斎のほうでも、あくまで、会わぬうちは、この雨《あま》ケ岳《たけ》をくだらぬといい張って、うごく気色《けしき》もなかった。
忍剣と小文治は、なかに立って板ばさみとなった。八風斎はだだをこねるし、伊那丸はきげんがわるい。これでは立つ瀬がないと、いまも民部に、苦しい立場をうちあけていると、ふいに、帳《とばり》のかげから伊那丸の声で、
「民部、民部やある」
としきりに呼ぶ。
「はッ」
とりいそいで、幕《まく》のなかへ姿をいれた小幡民部《こばたみんぶ》は、ふたたびそこへ立ちもどってきて、
「よろこばれよご両所《りようしよ》、にわかに若君が、八風斎に会ってやろうとおおせだされた。御意《ぎよい》のかわらぬうち、いそいで、かれをここへ」
といった。
間《ま》もなく、上部八風斎《かんべはつぷうさい》はあなたの仮屋《かりや》から、忍剣《にんけん》と小文治《こぶんじ》にともなわれてそこへきた。迎えにたった民部は、そも、どんな人物かとかれを見るに、鼻《はな》かけ卜斎《ぼくさい》の名にそむかず、容貌《ようぼう》こそ、いたってみにくいが、さすが北越《ほくえつ》の梟雄鬼柴田《きようゆうおにしばた》の腹心であり、かつ攻城学《こうじようがく》の泰斗《たいと》という貫禄《かんろく》が、どこかに光っている。
「八風斎どの、それへおひかえなさい」
制止《せいし》の声とどうじに、バラバラと陣屋のかげからあらわれた槍組《やりぐみ》のさむらい、左右二列にわかれて立ちならぶ。
と——武田菱《たけだびし》の紋《もん》を打ったまえの陣幕《じんまく》が、キリリと、上へしぼりあげられた。
見れば、正面《しようめん》の床几《しようぎ》に、気《け》だかさと、美しい威容《いよう》をもった伊那丸《いなまる》、左右には、山県蔦之助《やまがたつたのすけ》と咲耶子《さくやこ》が、やや頭をさげてひかえている。
「これは……」
と、槍《やり》ぶすまにひるまぬ八風斎も、うたれたように平伏《へいふく》した。