信玄の再来
二
「いよいよ攻めてまいりましたぞ」
「なに、大したことはない。主従|合《がつ》しても、せいぜい八十人か九十人の小勢《こぜい》です」
「小勢ながら、正陣《せいじん》の法をとって、大手へかかってきたようすは、いよいよ決死の意気、うっかりすると、手を焼きますぞ」
「おう、そういえば、天をつくような鬨《とき》の声《こえ》」
「伊那丸《いなまる》は、たしかに、命《いのち》をすてて、かかってきた……」
まっ暗な、空の上での話し声だ。
そこは、人穴城《ひとあなじよう》の望楼《ぼうろう》であった。つくねんと、高きところの闇《やみ》に立っているのは、呂宋兵衛《るそんべえ》と可児才蔵《かにさいぞう》である。
呂宋兵衛は、いましがた、軍師《ぐんし》昌仙《しようせん》と物頭《ものがしら》の轟《とどろき》又八が、すべての手くばりをしたようすなので、ゆうゆう、安心しきっているていだった。
が、可児才蔵はかんがえた。
「待てよ、こいつは見くびったものじゃない……」と。
そして日没《にちぼつ》から、伊那丸の陣地を見わたしていると、小勢《こぜい》ながら、守ること林のごとく、攻むること疾風《しつぷう》のようだ。
かれは、心のうちで、ひそかに舌《した》をまいた。
「いま、天下の者は豊臣《とよとみ》、徳川《とくがわ》、北条《ほうじよう》、柴田《しばた》のともがらあるを知って、武田菱《たけだびし》の旗《はた》じるしを、とうの昔にわすれているが——いやじぶんもそうだったが——こいつは大きな見当《けんとう》ちがい、あの麒麟児《きりんじ》が、一|朝《ちよう》の風雲に乗じて、つばさを得ようものなら、それこそ信玄《しんげん》の再来《さいらい》だろう。天下はどうなるかわからない、下手《へた》をすると、主人の秀吉公《ひでよしこう》のご未来に、おそろしいつまずきを、きたそうものでもない——これは、ぐずぐずしている場合ではない。すこしもはやく安土城《あづちじよう》へ帰って、この由《よし》を復命するのがじぶんの役目、もとより秀吉公は、呂宋兵衛《るそんべえ》には、あまり重きをおいていられないのだ、そうだ、その勝敗を見とどけたら、すぐにも安土へ立ちかえろう」
臍《ほぞ》をきめたが、色にはかくして、大手の形勢《けいせい》を観望《かんぼう》している。
そこには、たちまち矢叫《やさけ》び、吶喊《とつかん》の声《こえ》、大木大石《たいぼくたいせき》を投げおとす音などが、ものすさまじく震撼《しんかん》しだした。濛《もう》——と、煙硝《えんしよう》くさい弾《たま》けむりが、釣瓶《つるべ》うちにはなす鉄砲の音ごとに、櫓《やぐら》の上までまきあがってくる。
おりから、望楼《ぼうろう》の上へ、かけあがってきたのは、轟《とどろき》又八であった。黒皮胴《くろかわどう》の具足《ぐそく》に大《おお》太刀《だち》を横たえ、いかにも、ものものしいいでたちだ。
「お頭領《かしら》に申しあげます」
「どうした、戦いのもようは?」
「城兵は、一の門《もん》二の門とも、かたく守って、破れる気づかいはありませぬ。だがかれもまた、伊那丸をせんとうに、一歩もひかず、小幡民部《こばたみんぶ》のかけ引き自在《じざい》に、勝負ははてしないところです。これは、丹羽昌仙《にわしようせん》のれいの蓑虫根性《みのむしこんじよう》から起ること、なにとぞ、とくにお頭領よりこの又八に、城外へ打ってでることを、お許《ゆる》し願わしゅうぞんじます」
「む、では汝《なんじ》は城門をおっ開《ぴら》いて、いっきに、寄手《よせて》を蹴《け》ちらそうというのか」
「たかのしれた小人数、かならずこの又八が、一ぴきのこらずひっからげて、呂宋兵衛《るそんべえ》さまのおんまえにならべてごらんにいれます」
「昌仙《しようせん》の手がたい一点ばかりも悪くないが、なるほど、それでは果《はて》しがあるまい。ゆるす、又八、打ってでろ」
「はッ、ごめん」
と会釈《えしやく》をして、バラバラと望楼《ぼうろう》をかけおりていった。
可児才蔵《かにさいぞう》はそれを見て、
「ああ、いけない」とひそかに思う。
軍師《ぐんし》の威命《いめい》おこなわれず、命令が二|途《と》からでて、たがいに功《こう》をいそぐこと、兵法の大禁物《だいきんもつ》である。
大手《おおて》へかけもどった又八は、すぐ、城兵のなかでも一粒《ひとつぶ》よりの猛者《もさ》、久能見《くのみ》の藤次《とうじ》、岩田郷祐範《いわたごうゆうはん》、浪切右源太《なみきりうげんた》、鬼面突骨斎《おにめんとつこつさい》、荒木田五兵衛《あらきだごへえ》、そのほか穴山《あなやま》の残党《ざんとう》、足助主水正《あすけもんどのしよう》、佐分利《さぶり》五郎次などを先手《さきて》とし、四、五百人を勢ぞろいしておしだした。
軍師の昌仙がそれを見て、おどろき、怒《おこ》るもかまわず、呂宋兵衛《るそんべえ》のことばをかさに、
「それッ」
と、城門を八文字《はちもんじ》に開《ひら》いた。
「わーッ」
と、たちまち、寄手《よせて》の兵と、ま正面《しようめん》にぶつかって、人間の怒濤《どとう》と怒濤があがった。たがいに、退《ひ》かず、かえさず、もみあい、おめきあっての太刀まぜである。それが、およそ半刻《はんとき》あまりもつづいた。
しかし、やがて時たつほど、むらがり立って、新手《あらて》新手と入りかわる城兵におしくずされ、伊那丸《いなまる》がたは、どっと二、三町ばかり退《ひ》けいろになる。
「それ、この機《き》をはずすな」
とみずから、八|角《かく》の鉄棒を|りゅうりゅう《ヽヽヽヽヽヽ》と持って、まッ先に立った又八、
「追いつぶせ、追いつぶせ、どこまでも追って、伊那丸|一味《いちみ》をみなごろしにしてしまえ」
と、千鳥《ちどり》を追いたつ大浪《おおなみ》のように、逃げるに乗って、とうとう、裾野《すその》の平《たいら》までくりだした。