幽霊軍隊
二
地から湧《わ》いたように、忽然《こつねん》と、人無村をつきぬけて、ここへかけつけてきた軍勢は、そもいずれの国、いずれの大名《だいみよう》に属《ぞく》すものか、あきらかな旗指物《はたさしもの》はないし、それと知らるる騎馬《きば》大将もなかには見えない。ふしぎといえばふしぎな軍勢。
海に船幽霊《ふなゆうれい》のあるように、広野《こうや》の古戦場にも、また時として、武者幽霊《むしやゆうれい》のまぼろしが、野末《のずえ》を夜もすがらかけめぐって、草木も霊《れい》あるもののごとく、鬼哭啾々《きこくしゆうしゆう》のそよぎをなし、陣馬の音をよみがえらせて、里人《さとびと》の夢をおどろかすことが、ままあるという古記も見える。
それではないか?
この軍勢も、その武者幽霊の影ではないか、いかにも、まぼろしの魔軍《まぐん》のごとく、|天※[#「(犬/犬+犬)+風」]《てんぴよう》のごとく、迅速《じんそく》な足なみだ。
「おうーい、おうーい」
魔軍はまた、潮《うしお》のように呼んでいる。
時しもあれ——
ほど遠からぬところにあって、亀井武蔵守《かめいむさしのかみ》の、精悍《せいかん》なる三河武士《みかわぶし》二、三百人に取りまかれていた武田伊那丸《たけだいなまる》の矢さけびを聞くや、魔軍は忽然《こつねん》と、三段に備《そな》えをわかって、わッとばかり斬りこんだ。
ときに、矢来《やらい》の声があって、伊那丸をはじめ苦境の味方を、夢かとばかり思わせた。
「やあ、やあ、若君はご無事でおわすか、その余のかたがたも聞かれよ、すぐる日、小太郎山《こたろうざん》へむかった木隠龍太郎《こがくれりゆうたろう》、ただいまこれへ立ち帰ったり! 龍太郎これへ立ちかえったり!」
「わーッ」
と、地軸《ちじく》をゆるがす歓喜《かんき》の声。
「わーッ」
と、ふたたびあがる乱軍のなかの熱狂。しばしは、鳴りもやまず、三河勢《みかわぜい》はその勢いと、新手《あらて》の精鋭《せいえい》のために、さんざんになって敗走した。
木隠龍太郎は、やはり愛すべき武士であった。かれはついに、主君の危急《ききゆう》に間にあった。
それにしても、かれはどうして、小太郎山から、四百の兵を拉《らつ》してきたのであろう。それは、かれについてきた兵士たちのいでたちを見ればわかる。
陣笠《じんがさ》も具足《ぐそく》も、昼のあかりで見れば、それは一|夜《や》づくりの紙ごしらえであろう、兵はみな、小太郎山の、とりでの工事にはたらいていた石切りや、鍛冶《かじ》や、大工《だいく》や、山|崩《くず》しの土工《どこう》なのである。武器だけは、砦《とりで》をつくるまえに、ひそかに、蓄《たくわ》えてあったので不足がなかった。
この成算《せいさん》があったので、龍太郎は四日のあいだに、四百の兵を引きうけた。そして、その機智《きち》が、意外に大きな功《こう》をそうした。
しかし、一同は、ほッとする間《ま》もなかった。ひとたび、兵をひいた亀井武蔵守《かめいむさしのかみ》は、ふたたび、内藤清成《ないとうきよなり》の兵と合《がつ》して、堂々と、再戦をいどんできた。
のみならず、人穴城《ひとあなじよう》を発した呂宋兵衛《るそんべえ》も、すぐ六、七町さきまで野武士勢《のぶしぜい》をくりだして、四、五百|挺《ちよう》の鉄砲組をならべ、いざといえば、千鳥落《ちどりお》としにぶっぱなすぞとかまえている。