水引竹刀
二
渋沢栄一は、二十二歳だった。武州榛沢《はんざわ》村から出てきたばかりで、まだどこか泥くさい田舎《いなか》出の様子が抜けきれていない。うす菊花石《あ ば た》があって、背の低い方だった。この間まで、下谷練塀小路《したやねりべいこうじ》の海保漁村《かいほぎよそん》の塾《じゆく》にいて、神田の千葉の道場で撃剣を修業していたらしいが、何か、一身上のことがあって、この一ツ橋家の公用人平岡円四郎の家へ身をかくしていたのであった。
藩邸から一歩も出ないので、退屈しのぎに、道場をのぞきに来る。人あたりがいいので、入江達三郎とも、入懇《じつこん》になり、手すじをみると、出来る。
言語が明晰《めいせき》だ。頭脳がいい。
「若いが、謙譲《けんじよう》で、肚《はら》ができとる。渋沢氏を、見習いなさい」
そんなわけで、他流だが、客分として、来ればいつも、道場の上席を与えていた。
その渋沢栄一と並んで、道場の模範生だった土肥庄次郎は、藩の近習番頭取《とうどり》、土肥半蔵の長男だった。いつも、鈍々《どんどん》として、竹刀《しない》を持っても、間のぬけたところがある。しかし、真面目《ま じ め》で、無口で、体《からだ》は図ぬけて大きく、固肥《かたぶと》りという方で、団栗《どんぐり》のような眼をもっている。一見豪傑らしいが、その丸っこい眼が、にやっと笑うと、まるで、子どもだ。
「あいつ、やっと、こんどは、皆伝をとるらしい」
「十四歳から道場へ来ておるのだから十三年目の免許皆伝だ。十三年もやれば、傴僂《せむし》だって、皆伝になる」
「すると、奴《やつ》、二十七歳か」
「そうだ」
「二十七歳で、遊蕩《あそび》を知らんぞ、彼」
「こんど、おびき出すのだな。あいつの、酔ったところを、ぜひ見ておこう。それには、例の日がいいぞ」
同門の誰彼が、そんなことを、諜《しめ》しあわせていた。
七月。
暑いさかり、例の夏の陣の表彰日だ。
門下生たちは、高台付きの白扇《はくせん》か、箱入蝋燭《ろうそく》か、小菊紙十帖《じよう》ほどな品物に、半年分の授業料として、金一歩《ぶ》(百疋《ぴき》)をつつんで上に「謝儀《しやぎ》」と書き、うやうやしく、添えて出すのが、例なのである。
道場の方からは、茶菓《さか》、弁当がでる。
正面に、武神、流祖、ふた柱を祀《まつ》って、神酒《み き》をあげる。式となって、昇格の免状だの、賞状などが渡され、師範からなお鞭撻《べんたつ》の訓話があって、終わると、夕方は早めに散会という順序であった。
庄次郎は、皆伝免許の祝いとして、竹刀《しない》をもらった。竹刀の腹に、水引がかけてある。それを、右の肩にかつぎ、賞状と皆伝の巻物をつつんだ萌黄風呂敷《もえぎぶろしき》を、左の手にかかえて、にこにこ、藩邸の門を出て来た。
待ちかまえているのが、
「土肥」
と、呼びとめた。
どこの道場にもいる万年門弟という悪摺《わるず》れのした連中が、
「おめでとう」
「やあ」
庄次郎は、水引のかかっている竹刀と一緒にお辞儀をした。
「欣《うれ》しかろうな」
「それは……」
「どこへ行っても、もう一流の剣客でとおるぞ」
「まだ、まだ」
「いや、貴公のその頑丈《がんじよう》な体と、皆伝の腕なら、千葉や、九段の斎藤へ行っても、退《ひ》けはとるまい。めでたい。——しかし土肥、奢《おご》らにゃいかんぜ」
五、六人が取り巻いて、
「おごれ、おい、奢れよ」
「飲もう」
「祝杯だ」
庄次郎は、あわてて、友達の引っぱる袂《たもと》をもぎ離した。
「待ってくれ」
「いいじゃないか」
「俺は、酒は、飲まんでな」
「飲むのは、吾々《われわれ》がひきうける。どこへ行こう」
一人が、云った。
「吉原《よしわら》」
「吉原はいかん」
と打ち消して、
「しがらき」
同音になって、
「よかろう。金六町《きんろくちよう》のしがらきまで交際《つきあ》えよ」
庄次郎は、当惑そうに、ため息をついた。持ちあわせの小遣《こづか》いもなし、厳格で、質素な家庭に育ったので、酒は、辛《から》いものとしか、味を知らなかった。
「今日は、勘弁してくれたまえ」
「今日はって、ほかに、何日《い つ》、交際《つきあ》ったことがあるか。今日は来い」
「そのうちに、改めて、屋敷へ、お招《まね》き申すから」
「馬鹿をいえ」
笑い消して、庄次郎を中に、取り囲んだまま、無理押しに、歩きだした。