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松のや露八11
日期:2018-11-30 22:29  点击:266
 蚊帳坐禅
 
 
「どうもせぬ」
「お暑いでしょう、蚊帳を吊ったまま——」
「やぶ蚊めが、うるさいのだ」
「昨日は、風邪で、道場へ参れず、残念でした。しかし、おめでとう存じます。先刻、叔父御の声を洩れ聞きますと、明晩は、ご披露《ひろう》のお祝いとやら、拙者も、病床《と こ》を上げてしまいました」
 すべてが、庄次郎には、皮肉に聞こえた。
「おい、弟。——おまえの部屋に、新刷《しんずり》の武鑑《ぶかん》があるか」
「誰方《どなた》を、お調べなさるので」
「榊原」
「榊原家は、何軒もございますが」
「健吉と云った。榊原健吉、御家人か、藩士か、何役だ」
「あの人《じん》なら、武鑑を見るまでもございませぬ。人斬り健吉で通るくらい」
「そんな有名な奴《やつ》か」
「念のため、見ましょうか」
 部屋から持って来た大成武鑑《たいせいぶかん》の三の部をひらいて、八十三郎は、読むように聞かせた。
「榊原健吉、講武所教授方出役《しゆつやく》、百俵十人扶持《ぶち》、下谷三枚橋常楽院裏——と。かようです」
「ふウむ……」
 不合理の我《が》が、ぽきと、首を折られた。
 蚊帳を這いだして、
「往《い》って来るよ」
「どこへです?」
「預け物を、取りにゆく。——もう、行きたくなくなったが、父上と叔父御には、見せねばならぬし」
 陽《ひ》ざかりだ。
 小石川からのそのそと江戸の真ん中に出ると、もう七刻《ななつ》下がり。板新道《いたじんみち》の下水が、暑さに沸《わ》いていた。
「酔っぱらい奴《め》が」
 ゆうべの友達どもの悪戯《わるさ》が、そこへ来ると、恨めしくなった。昼間から、三味線の音がする町——白粉《おしろい》の女が見える狭い路地——何としても入りにくい。
「荻江節《おぎえぶし》のお里という家だが……。もし藩邸の者にでも見つかると?」
 何度も、路地口を、往ったり来たりしていたが、やがて思い切ったように、庄次郎の堂々と肥えた体が、きょときょと後ろを見ながら曲がって行った。

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