唐茄子
二
「肌《はだ》でも脱《ぬ》がんか」
「はっ」
「この暑いのに、そう、堅くなっておられちゃ、こっちも暑い。膝《ひざ》をらくにしたまえ」
「はっ」
庄次郎は、虚勢も持てなかった。
伊予絣《いよがすり》に、石帯《せきたい》の結び目を、すこし横っちょにして、榊原健吉は、涼しそうに胡坐《あぐら》をくんだ。
「君は、入江達三郎の弟子だそうだな」
「はい」
「入江と、拙者とは、若いころ、戸《と》ケ崎《さき》十松《じつしよう》の門で一緒に修業していたことがある。むろん、拙者の方が、はるかに末輩だが」
「左様ですか」
「下手《へ た》だな、あの大将、いつまでも」
「ははあ」
「あれでよく一ツ橋家の師範など勤めておる。その又弟子《またでし》だから、君ら、剣術を知らんのは、無理もない」
「…………」
庄次郎は、憤《む》ッとしたが、健吉の眼を、見ていることができなかった。
健吉は、膝の上で、団扇《うちわ》の柄をまわしながら、
「——お蔦あ、まだかっ」
遥かな台所の方で、
「いま、支度しているんですよ」
水の音や、瀬戸物の音が聞こえる。やがて、そのお蔦が、膳を運んできた。酒がのっている。
庄次郎は、面喰《めんく》らって、
「時に」
と、あわてて、用向きを切りだした。
健吉は、盃洗《はいせん》へ手をのばしながら、
「あ、竹刀《しない》と、皆伝の目録か、確かに拙者が、お里の家《うち》から持ち帰っている。——まあ、一献《いつこん》」
「酒は……」
「飲まんのか」
「不調法者《ぶちようほうもの》でござる」
「こいつ! 案外、話せん男だ、俺はちと買いかぶったかな。——じゃすすめない、酌《しやく》をしてくれ。君はその唐《とう》茄子《な す》でも、食っておれ」
庭はひろい、手入れをしないので藪《やぶ》のようである。うっすらと流れだした夕闇のなかに、白い小さな綿虫《わたむし》の群れがうごいていた。
お蔦は、蚊《か》いぶしを、床のわきにおいて、
「土肥さんは、召飲《あ が》れないのでしょう」
「どうも、一向」
「お気の毒ですよ、兄さん、はやく、あの品物を、返して上げてください」
と、健吉へ、縋《すが》った。
「そこにある」
健吉は、後ろの床脇《とこわき》の小壁を、眼で指《さ》した。水引のかかったままの竹刀と、免許状の包みとが置いてあった。
「——渡してやれ」
「有難うぞんじます」
庄次郎が、頭を下げると、健吉は、張合い抜けのしたような顔で——しかしまだ疑っているように彼の容子《ようす》を見ていたが——突然、肩を揺すッて、笑いだした。
「おい、唐《とう》茄子《な す》氏《うじ》」
「はっ」
庄次郎は、品物が、手にもどると、そこそこに、腰をうかしていた。
「待ちたまえ。——貴公は、一体、何しに来たのか」
「明夜、親戚《しんせき》どもが寄って、手前の免許皆伝を取った祝宴をしてくれますので、ぜひ、この品が入用のために」
「それだけか」
「それだけでござる」
「はははは。——何のこッた、拙者はまた、昨夜《ゆうべ》のご無念もあるはずと、首を洗って待っていたのだ」
「ど、どうつかまつりまして——」
「昨夜の連中で、たれ一人、拙者を追って来る者のない中に、貴公一人は、俺の背なかから斬りつけた。まるで、成っていない刀の味だったが、気概《きがい》は偉い、意気は愛すべしだ——と思って、今日は、貴公の訪問を、実は、目釘《めくぎ》をしめして待ちかまえていたのに。——勝負もせず、帰るのか」
「帰らしていただきます」
「はてな?」
健吉は、腕を拱《く》んで、お蔦の顔を見て云った。
「……どうやらこの勝負、俺の方の力負けらしいな」