鷹の羽
三
花聟《はなむこ》は、床の間の松竹梅を後ろにして、固くなっていた。ふだんの庄次郎とは、別人のように見える。張子の虎みたいに重そうな首をして、耳たぶが、充血している。
嫁の輿《こし》と、嫁方の人々とが、土肥家の九つの部屋を溢れさせた。
「お席へ、お着きくだされい」
「まず、其許《そのもと》から」
「いや、お先へ」
「どうぞ、お年役に」
「まあ、まあ」
肝腎《かんじん》な広間だけが空《あ》いていて、人々は、お互いに、謙譲の美徳をしめしあってばかりいて果てしがない。
「聟殿が、てれまする」
老人から、ぼつぼつ、着席する。やがて、土肥家の側が、ずらりと、坐り終わったところで、花嫁は、つのかくしを、俯向《うつむ》けて、庄次郎のそばへ、楚々《そそ》と、手を曳かれてきた。
裾模様《すそもよう》が、自分を、圧するように側へ坐った。銀釵《ぎんさい》が、きらりと灯《ひ》を射る。庄次郎は、どきっとした。
一生の運命が決まるのだ。もう、お喜代も、縁なき路傍の石になるのだ。
花聟は、憂鬱《ゆううつ》らしい。初めから気のない縁談だった。叔父が、いい気持で、でッち上げた今夜なのである。目出度いのは、いったい誰だ?
ふと。
庄次郎は眼の隅《すみ》からあかの他人みたいな花嫁を見た。見合いすらしなかったので、実物は、今が初めてなのである。
(あっ……)
あぶなく、庄次郎は、声を発《だ》すところだった。
お喜代じゃないか!
板新道の——
(違う)
落ち着いて、横目を、繰り返して見ると、違うことは違うが、よく似ている。実に、お喜代によく似ているのだった。
少し下ぶくれな頬といい、切れの長い眼じり、横から見た白い鼻のかたち。美人である。庄次郎の憂鬱は、急に、野末の春みたいに、ひろびろとして来た。すっかり、気に入ってしまった。妙に、拗《す》ねたり、鬱《ふさ》いだりしていた自分が、急に、間がわるくなって、からりと、陽《ひ》なたへ出たような幸福感で、体が熱くなった。
すると、
「なんじゃ」
「どうしたのだ」
叔父が立つ、父が立つ、玄関の方から、人々が呼ぶ。
騒然と、席がみだれ出したと思うと、嫁方の親戚たちが、狼狽《ろうばい》に、度を失って、花嫁の手を取ると、
「出迎えの間違いじゃ。門《かど》違いじゃった」
「え? ……え? ……」
花嫁は、驚く。
それを、無理に引っ立てて、玄関へ駈け出ると、媒人《なこうど》は、平謝《ひらあやま》りに、謝っていた。
一組が、どかどかと出る。べつの一組が、どかどかと入って来る。それも、鷹の羽の提灯だった。
「——あれは、上水組同心の鈴木とやらへ嫁《とつ》ぐのだそうな」
「道理で、すこし、挨拶が、変だとは思ったが……」
「一夜に、二組も、嫁の輿《こし》が門をくぐった。間違いとはいえ、めでたい」
後では一同、屋の棟《むね》をどよめかせて、笑い崩れたが、庄次郎は、奥でひとりぽかんとしていた。
やがて。
ぽかんとした聟《むこ》のそばに、次の花嫁が来て坐り直した。今度こそ、間違いのない嫁だったが、横ぶとりで、手が丸かった。庄次郎に似て、鼻も低い。