闘 鶏
三
読みかけていた横文字の書物をふせて、
「ちッ。またやっているな」
八十三郎は、窓から首を出した。
庭にいた庄次郎が、
「何だ? 弟」
「実に、癇《かん》にさわる。近頃は、毎日ですからな」
「何が」
「あの軍鶏《しやも》の声です」
「軍鶏か、あの声は」
「まるで、喉《のど》を締《し》めるような。……あれが聞こえ出すと、勉強ができない」
「どこの家で、あんなものを、飼っているのか」
「飼っているならいいが、そうじゃない。この上の藪の中に、無頼漢《ならずもの》と、闘鶏《と り》師《し》が集まって、博奕《ばくち》をしているのです」
「ふふむ、蹴合《けあ》いか」
「賄賂《わいろ》を取っているとみえ、町方の役人も、耳のない顔をしている。上も下も、怪《け》しからん世の中だ」
なるほど、そう聞いてみると、かなり耳につく。
風態《ふうてい》の悪いのが、風呂敷をかぶせた、軍鶏を抱いて、だらだら坂を、往来している姿も、よく見かける。
四、五日後だった。
「兄上、渋沢栄一殿が、訪ねて来ました」
「何日《い つ》?」
「只今、お玄関に」
「えっ、来たのか。いると云ったのか」
「べつに、はっきりは、申しませんが」
「いないと云ってくれ」
「なぜです。なかなかいい人物じゃありませんか。ご不在中、幾度も来て、拙者と、話して行ったこともあるが、しっかりしている」
「今日は、ぐあいが悪い。近日こちらから伺うと……」
たびたびなので、八十三郎は、すまない顔して断りに出て行った。
やがて、戻って来て、
「では、お待ちすると云って、帰りました」
「そうか」
ほっとしたように、
「何か、文句を云わなかったか」
「べつに」
庄次郎は、苦になった。もう一年越しになる借金、吝嗇家《りんしよくか》の渋沢、催促も根気がいい。
その四十両はおろか、近頃は、天保銭《てんぽうせん》一枚、自由にならない。金さえ持たせなければと——父も叔父も諜《しめ》し合っているらしい。
「弱った」
窓に、頬杖《ほおづえ》をのせていると、今日も、山の藪で軍鶏の絶叫が聞こえる。ちょうど、今の自分の苦しさのように耳につく声だ。
庄次郎は、物置へはいった。何を考えたか、錆《さ》びた十手を一本、懐中《ふところ》へかくして、裏の垣を跨《また》ぎかけた。すると、
「こらっ、どこへ参るッ」
父の半蔵が、雪隠《せつちん》の窓から呶鳴《どな》った。
「少し、外を歩いて来ます」
やや、反抗的に答えると、
「早く、帰れ」