九
よう子は、軽蔑の口調で、ゆみ子に言う。
「よし子さんって、男に惚れたりするのだから……」
面と向って、そういうこともあった。しかし、よし子は逆らわない。四十ちかい女が、若い女に混って仕事をつづけてゆくのは、なかなか難しいことだ。それに、よう子は「銀の鞍」の実力者の一人である。よし子は、すすんでよう子の侍女の役割をつとめることさえあった。
たしかに、酒場に勤める女にとって、恋愛はさまざまの不利益を招くことである。恋愛している女は、平素の技巧を失って、ときに放心したり苛立ったりする。それは、敏感に客の心に反映してゆき、客は興醒《きようざ》める。とくに、その相手が客の一人だった場合、ほかの客の興醒めかたは一層深くなる。
しかし、その点にかんしては、よし子はしたたかであった。恋愛している自分の状態を、客に接するための技巧に繰入れてしまおうと試みた。
よし子は巧みに客の眼を誤魔化していて、知っているのは店の女たちだけである。相手の男は二十五、六で、この店には場ちがいの若さであった。その青年が店にあらわれると、その瞬間から、三十九歳のよし子の頬はばら色になる。厚い化粧の下から、その色は滲みでてくる。眼に、潤んだ光が点り、十歳は若くなる。
しかし、よし子がそのまま二十九歳にみえるというのではなく、二十九歳のうしろによし子の本当の年齢が透けてみえる若返り方である。その若さは多分に人工的であり、いたいたしさに似た感じがあり、それが奇妙な魅力となった。よし子は、けっして青年の席に坐りつづけることをしない。青年が店の一隅にいることを、全身で感じ取るだけで、彼女は若返る。
青年のあらわれない夜は、よし子はじっと耐える。自分の殻に閉じこもる耐え方ではなく、傍の客を意識しながら、無口にひっそりと坐っている。その憂愁が、よし子の年齢をうつくしく飾った。
「女は、若いばかりがよいわけではないな」
と、客はそういうよし子を見て、ひそかにおもう。
ゆみ子の眼からみて、その青年はまったく魅力のない男であった。バーテンの木岡が、よし子を揶揄して、言ったことがある。
「よし子さん、若い男は、滋養になるようだね」
生ぐさい、厭なひびきを伴って、その言葉はゆみ子の耳に入ってきたが、「ほんとうに」とおもった。客に接するための技巧に、よし子が自分の恋愛を利用しているというよりも、技巧のためにわざわざ自分の心を青年に向けて駆立てているのではないか、とさえおもった。ゆみ子にそういう感想を抱かせるほど、その青年が魅力のない男だったともいえる。
店の暇な時間、よし子はしばしばゆみ子を話相手に選んだ。話はおもに青年とのロマンスである。熱中してくると、よし子の口の端に、白い唾がたまった。その話は、退屈だった。しかし、自分のことしか考えていないその顔と、口の端の白い唾を見比べて、いたいたしい気持が起る。そして、ゆみ子はいつまでも相槌を打ちつづける。
「いたいたしいから、許してあげる」
ゆみ子は頭の中でその言葉を繰返し、その言葉は先日油谷という男の口から出たものであることに気付く。油谷が気がかりな存在になっていることに、ゆみ子は気付いた。